奄美の島唄

あさばな節(朝花節

 「あさばな」には「長あさばな」と短い「あさばな」(ちゅっきゃり、あるいは、いっきゃという言葉が冠せられることがある)の二種類ある。よくうたわれるのは、短い「あさばな」の方でこれは歌のある席では必ずといってよいほど、最初にうたわれるものである。なぜそうなったのかということについては、いくつかの説があるが、いずれも確定的なものではない。
 中で、故文英吉氏の説が有名なものであるが、氏によると「あさばな」とは「朝の端」(朝のはじまり)に通じ、つまりは物事のはじめを意味するものではないかといわれる。  ところが、近年の調査により、各島から
○あさばなに惚れて 吾きゃや振り捨てて 花ぬ萎れれば 吾事(わくと)思うぶしゃれ
 (朝花のように若く、浅い女に惚れて、私を振りすてたが、花が萎れて魅力がなくなったらまた私の事を思って下さい)

※福田

○あさばなにふれて 吾(とじ)暇くりて にゃまに(うむ)いば 吾肝(わちむ)やみゅい
 (朝花のような女に惚れて私の妻に暇をくれたが、今に思えば私の心が痛む。)

※三井

といった歌詞が発見され「あさばな」という節名も、この系統の歌詞からついたとする見方が有力となってきた。とすれば「あさばな=朝の端」説は、ここで再考を余儀なくされるわけである。
 私の考えをまとめると次のようなことになる。
 短い「あさばな」は「長あさばな」から生まれたものに違いない。その「長あさばな」の原曲は「諸鈍芝居」や、南大島のあちこちで今もうたわれている「誇らしゃ節」といわれる祝福ムードに満ちた三味歌である。その証拠に「誇らしゃ節」をうたうシマの古老に「長あさばな」を聴かせると、「それは吾きゃシマの誇らしゃだ」という人が必ず出てくるくらいメロディが似ていること、また複雑な歌詞の反復のされ方が、両者全く同じだということ、それと「長あさばな」でも、「誇らしゃ節でも同じ
○今日ぬ誇らしゃや 何時よりもまさり 何時も今日ぬぐとに あらち給れ

武下

という文句から打ちだす傾向にあることも、あげられよう。
 つまり「ほこらしゃ節」という一つの祝い歌に、ある時代「あさばなに惚りて〜」の歌詞が付けられた。しかし、この歌は、あまり長い(つまり繰り返しの多い)うたわれ方がされるので、今のような短い「あさばな」になり、いつの間にか、もと歌も曲名の意味も忘れられてしまった。しかし今も「ほこらしゃ節」の持っていた祝い付け的な要素だけは残り、歌あそびの最初にうたう習慣として続いているのではないか、ということなのである。

<参考>
 「あさばな節」でよくうたわれる歌詞。(恋歌などもあるが、あいさつ歌三首をあげる)
()れまれ ()きゃ(うが)で (なま)()きゃ拝むば にゃ何時(いち)頃拝むかい
 (久しぶりに あなたとお会いしましたが、こんどは何時また会えるでしょうか)

※武下

○いもしゃん(ちゅ)ど 真実あらな 石原(いしわら)()みきち いもしゃん人ど真実あらな
 (ここに いらしてくださった人こそ真実のある人です。石原を踏み越え、こうしていらした下さったことこそ。)

※同

(うが)まらん(ちゅ)ど (うが)で知りゅり 命長むておれば 拝まらん人ど拝で知りゅり
 (会ったことのない人も、こうしてお会いして、はじめて知ることができます。これも命長らえていたからこそです。)

 そのうたい方の例
 /~ハレーイまれまれ なきゃうで(イチヌカランヨ ヒルヌカランヨイ
  なまなきゃうがむば にゃいちごろ うがむかい

 「長あさばな節」で最もよくうたわれる歌詞の一つ。
今日(きよ)(ほこ)らしゃや 何時(いち)よりもまさり 何時も今日ぬ(ぐと)に あらちたぼれ

※南

 そのうたい方。
 /~ケエーイ きょぬほこらしゃや ハレーイいちィよ(ヨイサヌヨイーヨイサーヨイヨイー)
  いちよりヨーイもィまィさィりィリー ウセヒャイー
  ヤハレイーいちよィ(ナチカシコロヤ ナマイジタンヨ)イチィよりヨーイもまィさィり
  ケエーイいちむきょうぬごとに ハレーイあらィち(シマイチバンジャ ムライチバンヨ)
  あらィちたィぼィリ ウセヒヤイ
  ヤハレィあらィち(ガンヨガンヨ スミヨヌガンヨ)あらィいちたィぼィりィ

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Last-modified: 2012-11-07 (水) 14:21:51 (3271d)