奄美における仕事起歌起源のシマウタ(改訂版)

★「奄美における仕事歌起源のシマウタ」(鹿児島短期大学付属南日本文化研究所『南日本文化研究叢書』18号 平成5(1993)3月発行)を全面的に改訂したもの。

はじめに(凡例を含む)

 奄美の多くのシマウタが、仕事歌「イトー」を起源としていることは、従来、曲の印象などからいわれていることであった。例えば「イトー」と「渡しゃ」と「塩道長浜節」とを続けて演唱してもらえば、これらはどこかで繋がる歌だと、音楽研究の素人にも何となく分かったのである。しかし、それはあくまで直感と印象であって、実証という面では弱いところがあった。

 そこで本論では、仕事歌起源とみなされる曲を拾い上げ、それぞれの詞章の精査と、民俗的な背景の考察をもとに比較してみることとした。

 したがって、ここでは音楽的な比較はほとんど行っていない。

(凡例)引用の詞章は次の文献による。ただし「  」のように略記した。
〇文英吉著『奄美大島民謡大観』(復刻版)初版 1993年9月 南島文化研究所発行、復 刻版 昭和58年7月 自家出版=「文」
〇田畑英勝ほか編『南島歌謡大成 恒眸篇』1979年4月角川書店発行=「大成」
〇富浜定吉著『五線譜 琉球古典音楽』1980年6月 文教図書発行=「琉球」
〇恵原義盛著『奄美の島唄 歌詞集』1987年12月 海風社発行=「恵原」
〇日本民謡協会篇『日本民謡大観(沖縄 奄美)奄美諸島篇』1993年8月 日本放送出版協会発行=「大観」
〇セントラル楽器奄美民謡企画部編『奄美民謡総覧』2011年1月 南方新社発行=「総覧」

なお、引用に当たっては、歌詞部分は全て平仮名、ハヤシコトバはカタカナ、相手方ハヤシは( )でくくった。なお、それに小川が共通語訳を付した。

1.奄美の仕事歌概観

奄美の仕事歌は、島々により、曲種の上でかなりの違いがみられる。まず、島ごとの仕事歌の特徴を押さえておきたい。

1)奄美大島

奄美大島では、仕事歌のことを、一般的に「イト」(「イトー」「イトゥ」などの表記も)といっている。語源は、仕事のさいの掛け声というのが定説である。なお言葉の上で、沖縄の「おもろそうし」に出てくる「えさおもろ」「えとおもろ」とも無関係とはいえないだろう。

 仕事の種類は、舟漕ぎ、烏賊曳き、田の草取り、砂糖黍の草取り、荒地や畑地の耕し、山からの材木運び、土突き等々であるが、曲(唄)とそれぞれの仕事との繋がりは、一様ではない。つまり、一つの曲がその仕事と密接に結びついていて、ほかの仕事には歌われないものと、一つの曲が、歌詞やテンポやリズムを変えて、いろいろな仕事に歌われる場合がある、ということである。

 奄美大島で、もっとも頻繁に歌われているものが、以下の系統の曲である。

「荒地打ちイェト」
ハレコーヌヤッサレコーヌ
ヨーハレフェンヨー
ホイヤーレンンコー
〈大成277頁 奄美市住用川内〉

 この例のように、ハヤシコトバだけの唄もあるが、実際には、仕事に結びついた歌詞が歌われ、それにハヤシコトバが付くという形になる。

「田の草イト」

アラヘイヨー 
アレコレヨーホイヤー
ハラヘイヨーホー
アレ じゅひちはちハレくるやヨー
よぬくれどハレまちゅるヨ
アラヘイヨー
アレコレヨーホイヤー
ハラヘイヨーホー




十七、八のころは
夜の暮れる(日が暮れる)のが待ち遠しい

〈龍郷町秋名 山田武丸〉

 ちなみに幕末の記録「南島雑話」にも、舟漕ぎの挿絵とともに唄が出てくるが、ハヤシコトバだけのものである。奄美におけるイト、掛け声、つまりハヤシコトバだけの時代があって、これにいつしか意味のある歌詞が付いたと想定される。
 したがって私たちは、イトの系統を探ろうとするとき、ハヤシコトバが重要な鍵となることを知るべきだと思う。

2)喜界島

 喜界島の仕事歌もイトといわれ、麦打ち、砂糖黍の束ね、砂糖黍搾り、芋植え、田植え、舟漕ぎ、馬追いなどがある。
 曲の特徴としても、奄美大島同様、ハヤシコトバ主体のものと、歌詞が入るものとがあるが、全体的に奄美大島との近さを感じさせる。  

3)徳之島

徳之島になると、様相がかなり異なってくる。この島で、最も盛んに歌われたのは田植え 歌で、田を植える若い女性たちと、畦で太鼓を打ちながら歌う男性、これに田植えから引退した女性たちが加わり、彼らの掛け合いでなされる。性格的には、仕事歌を超えて、豊作を願う儀礼歌の要素が強い。
 このほか、田植え歌とは全く異なる曲調の舟漕ぎ歌、烏賊引き歌、麦つき歌、木挽き歌などが残っている。いずれも、ハヤシコトバだけのものはなく、歌詞とハヤシコトバが合体したものである。

4)沖永良部島・与論島

 両島は物突き歌(米搗き歌とも)が盛んであった。歌は、甲の人、乙の人、ないし甲のグループ、乙のグループの掛け合いで歌われる。このとき、8886調歌詞が11に分割され、甲が3音、または長音をもって2音の語句を歌えば、乙がそれを繰り返すという歌い方をする。
 このほか、伝説が伴う烏賊曳きの歌がよく知られている。

以上、各島の状況を概観したが、仕事歌起源のシマウタ追跡する旅を始めてみよう。

2、踊り唄「渡しゃ」の原歌

 「渡しゃ」とは、かつて奄美大島と喜界島との間を行き来していた渡し舟のことをいう。現在は、主に座敷での手踊りに付く騒ぎ歌として歌われることが多い。なお、戦後間もなくまで、頼患者が舟を漕ぐのを真似た踊りがついて、その踊りを「乞食踊り」などともいっていたが、今はそのイメージは全く払拭された。
 この「渡しゃ」が、かつてイトから生れたというのは、私の印象によるものであり、また多くの歌い手やシマウタ愛好家が、よく似ていることを直感しているところであるが、ハヤシコトバの比較によってより明らかになる。
「渡しゃ」の歌い方からあげてみる。

エーイ 喜界(ききゃ)やーヨホ眺めれば
ハレイー 手取(てと)ろ取ろーヨホばかり
ハレイー 手取ろ取ろーヨホばかり
百之台(ヒャクノダイ)カラ眺メレバ
 小野津(オノヅ)みさき岬ヌ ハゲ キュ美ラサ)

喜界島を眺めれば
手に取ろう取ろうとばかりに見える

エーイ 中に橋掛けて
ハレイー 吾加那(わかな)―ヨホ欲しゃ
ハレイー 吾加那―ヨホ欲しゃ

中に橋を掛けて
私の恋人をわがものにしたい

〈117 宇検村生勝 坪山豊〉

 問題はこのなかのハヤシコトバ「ヨホ」という短い一句である。これこそ、奄美大島、喜界島のイトに出てくる言葉と結びつく。
 2例あげる。

「田の草イェト」
ハレーながつきぬーハレーてぃだやよー
ハレよぬくれーどハレまーちゅるよー
ハラフェンヤーレーコヌヘー
ヨウイヤ
ハラフェンヨウーホ
〈大成268頁 奄美市笠利町万屋〉

「櫂漕ぎイトゥ」(喜界町荒木生れ 益田愛吉 晴新一郎)

ヘイヨーホー ヘイヘイヤー ヤー
ハーレンコー ヘイヘイヤー ヤー
ニャードヨー ヘイヘイヨー ヤー
アーレンコー ヘイヘイヤー ヤー
〈大観434頁 喜界町荒木 益田愛吉 晴新一郎〉

 前の「ヨウ−ホ」、後の「ヨーホ」と、「渡しゃ」の「ヨホ」とは無関係とはいえないだろう。私は、他の仕事歌に頻出する「ヨーホイ」系の言葉が、「ヨーホ」「ヨホ」という言葉になったのだと考える。
これが詞章面から類推できる限度であるが、ハヤシコトバの断片が、曲の系譜を探るのに重要な力となる例は、後にもたくさん出てくるはずである。

3、「渡しゃ」に繋がる「塩道長浜節」

 「塩道長浜節」は、昔、喜界島の塩道という集落に起った悲劇的事件を歌ったシマウタである。「けさまつ」という美女が住んでいて、彼女に思いを寄せる男がいる。しかし、けさまつは男嫌いで知られていたが、あまりに煩いので浜で会うことだけは承諾する。だが、けさまつは一計をはかり、連れて来た馬の手綱を男の足に結わえ、その馬を走らせる。男は浜中引きずられて生き絶えてしまうという話だ。
 現在は、地元の喜界島より奄美大島の方が盛んで、人気曲の一つになっている。 だが、厳密にいえば、三種類の「塩道長浜」が認められる。一つは、喜界島に伝わる八月踊りのなかの「塩道長浜」である。二つ目は、奄美大島でも南部で歌われているもので、今日、民謡大会で歌われたり、レコードやテープ、CDになっているものはほとんどといってよいくらい、この曲である。誰が聞いても伝説と合った、悲しい響きを持っている。三つ目は、奄美大島北部のもので、これは全域的に歌われるシマウタ「らんかん橋節」とほとんど同曲と見なされている。
われわれが、先入観なしでこれらを聞くと、同じルーツを持った歌とはおよそ考えられない。しかし、私には、かつては一つの歌であり、かつ海の仕事歌がもとだと考えられる。そのことを明らかにするために、先ず、各地の舟漕ぎ歌との比較を行うこととする。

「塩道長浜節」

エーイ 塩道長浜(しゅみち)に ヨーヤーレ
 (わらべ) ハレ 泣きしゅすぃや
ヨーヌヒヤレーヌ トヨイトヨイ
(ヒヤレーヌ トヨイトヨイ)
エーイ うりや誰が(たが)(ゆい)じょ ヨーヤーレ
あしはだ汗肌けさまてぃ故じょ
ヨーヌヒヤレーヌ トヨイトヨイ

塩道長浜に
(青年の霊が)童泣き(大泣き)している


それは誰のために
汗肌の魅力的なけさまつへの恨みゆえに

〈瀬戸内町諸数 武下和平 総覧101〜102頁〉

この打ち出しの歌詞に付いては、どの地域のものほとんど同じだが、ハヤシコトバは「ヨーヤレ」が「ヨーハレ」と変わるなど、いくぶん違っている。ただ、ほとんどの地域の歌に「トヨイトヨイ」「トヨートヨー」といったハヤシコトバが付いている。 ここで、思い起こされるのが、1の節であげた「渡しゃ」で、次のようなハヤシコトバを歌う地域があるということである。

一、ハレー ならだなしゅて
ハレ くぬ渡しゃ舟(わたしゃぶね) ハレ ()りゅり
ハレ くぬ渡しゃ舟 ハレ 乗りゅり
(アン主カマ 何処主カマ カンチイモチ
煙草(タバク)()ショレ 煙草召ショレ トヨトヨー)
ハレ よさりび日ぬありば
ハレ くぬ渡しゃ舟 ハレ ()めゅり
ハレ くぬ渡しゃ舟 ハレ 止めゅり

生活が成り立たなくて
この渡し舟に乗った(舟頭になった)

(あのお方 どこのお方
煙草を召し上がれ 煙草を召し上がれ トヨトヨー)
今日は良い日であるので
この渡し舟を止めよう

〈瀬戸内町諸数 福島幸義 総覧56頁〉

この相方ハヤシに出てくる「トヨトヨー」は「塩道長浜節」の「トヨイトヨイ」と無縁のものではないだろう。海の仕事歌と繋がることが明らかになったわけである。
今一つ、「塩道長浜節」が、かつて仕事歌であったことを物語る有力な証拠がある。徳之島に伝わっていたとされる「沖の夜走」である。
この歌は、民謡研究家、久保けんおが採集、採譜したもので、氏の著書『南日本民謡曲集』のなかに「沖の夜航」という名前で載っている。

「沖の夜走(ゆばらし)

うにだよばらし ヤーハレ
みじがどくなりょうり ヤレイ
みじがどくなりゅり
トヤレヤレーヤレ
うりやたんがゆい ヤーハレー
けさまつゆいさらみ ヤレイ
けさまつがどぅゆいさらみ
一、トヤレヤレーヤレ

沖の夜走らせ
〈意味不詳〉


それは誰の故
けさまつ(女性名)のためであろう

〈同著左表紙112頁、採譜より。徳之島 集落記載なし 山本喜多静〉

 問題は2番目の歌詞である。先にあげた「塩道長浜節」の歌詞の、下の句とほとんどおなじであることに気づく。久保は「塩道長浜の文句が混入ししたものか」といっているが、混入したというより、海の仕事歌で喜界での出来事が歌われて、それが徳之島にも伝わっていたと考えるのが妥当と思われる。
 なお、この歌に出てくる「ヤハレー」などのハヤシコトバは、イトや「塩道長浜節」にもよく歌われる。また、歌詞反復においてABB形をとっていることも、イトや「塩道長浜節」と共通であり、3者の関係はゆるぎないものといえよう。

4、海の仕事に関連する「長雲節」

 「長雲節」は、奄美大島のシマウタの代表曲の一つといってよいものだが、不思議な歌である。大島南部では、正月や年の祝いや結婚式の祝い唄として歌われる傾向があり、北部では歌遊びの際の別れ歌としてよく歌われる。なお、瀬戸内町一帯では、霊を呼ぶ唄として夜中は絶対に歌うものではなかったと、『奄美民謡大観』に書かれている。むろん、シマウタの中の単なる一曲として扱われるところも少なくはない。
 歌われ方は大きく2種類あるが、それぞれをあげる。

エーイながくもィやィながさ
しぬきアレさおびらィ
しぬきアレさおじびら
(しぬきアレさおじびら)
エーイ かなにうィめィなせばィ
くるまィ・くるまとーばる
くるまィ・くるまとーばる

長雲坂の長さ
(それに続く)しんどいさおじ坂


恋人のことを思えば
(砂糖を絞る)車が通るような平坦地だ

〈奄美市笠利町用 池野無風 総覧206〜7頁〉

エーイ がんげつぬしかま ヤーレー
とこむか・むかてみればィー
とこむか・むかてみればィー
(ハマカメクヮヤ ハマウリトテチョイチョイ)
エーイ うらじるにゆじる ヤーレー
ゆわい・ゆわいきょらさ エイー
ゆわい・ゆわいきょらさ エイー

元日の朝
床の間に向かって見れば


裏白(植物名)とゆずり葉で
祝うさまがきれいだ

〈宇検村生勝 坪山豊 総覧191頁〉

 歌詞は、前者はこの歌の打ち出しの歌詞、つまり曲名のいわれとなったものである。後 者は、正月の祝い歌として歌われるものである。
歌われ方として2つに共通しているのは、8886調4句体(ABCD)歌詞を、ABBCDDと歌詞反復をして歌うということである。変わっているのは、前者が、4句体歌詞の4句目Dを「くるまィ・くるま」と3音分を反復しているということである。しかし、この形の反復は、ほかの曲でもよく見られることである。特に、上の句(AB)と下の句(BC)が同一旋律であるような場合(奄美民謡では多い形)、8888調にする必要があり、このような繰り返しで4句6音を8音に近づけるのである。
 これに対して、後者は2句目Bと4句目Dに「むか・むかて」「ゆわい・ゆわい」のような部分的反復がみられる。音律の調整とは明らかに違った目的によるものだが、その理由は別稿で明らかにしたい。
 いずれにせよ、特に後者の歌詞反復とほとんど合致する仕事歌が、徳之島に流布するということである。「烏賊曳き唄」」(一名「ながくも節」がそれである。

ながめきらがりやヨー
くもや・くもやなげなげと
くもや・くもやなげなげと
クマツキトントン クマツキトントン
しまうらやみたがヨー
わんかな・わんかなみららん;
わんかな・わんかなみららん
トウエイ トウエイ

長雨(梅雨)が切り上がって
雲が長々と見える


島浦は見えるが
わが加那(恋人)は見えない

〈徳之島町井之川 松元米島 集成524頁〉

全体の歌詞反復はABBCDD、かつ2句目は「くもや・くもや」と、4句目は「わんかな・わんかな」と、それぞれ部分反復をしている。前掲後の「長雲節」と同じであることは、偶然だとはいえないだろう。
なお、「くもやなげなげと」(雲が長々と)という部分はきわめて重要である。雲が地平線に帯のように長く見えることは、海ではよく見られる光景である。「ながくも」という曲名も、ここからきたものと十分に考えられる。この歌は奄美に広く歌われていたもので、それが奄美大島では、龍郷町の「長雲坂」と結びつき、遊び歌としての「長雲節」になったものと推定されよう。

ついでながら、徳之島の烏賊曳き歌「長雲節」ときわめて近いと思われる「長雨切りゃがり節」をあげておく。

ながめきゃがりや
うきやとれどれと
(ソラヨイヨイ)
うきやとれどれと
(うきやとれどれと)
ななはなれ・ななはなれみゆる
(ソラヨイヨイ)
ななはなれ・ななはなれみゆる
〈072 瀬戸内町花富 朝崎郁江 総覧185〜6頁〉

「長雲」を歌った文句こそ出てこないが、歌詞は類似している。かつ、ABBCDD型歌詞反復も偶然の一致とは考えられない。

5、「長雲節」に繋がる「てだぬ落てまぐり節」「らんかん橋節」など

 前項に述べた奄美大島と徳之島の「長雲節」を結びつける要因の一つが、曲名の一致であったが、実は沖永良部島にも「ながくま(む)節」という曲名が同じ唄が広く歌われているのである。
 ただ残念ながら、こちらの方は曲名に関連した歌詞は全く残っておらず、「長雲節」との関連をいうには弱い点がある。しかし、歌詞反復やハヤシコトバなどを見ていくと、全く別の唄だとも考えにくい。
 「ながくま節」の歌い方を示す。

てだぬうてまぐりや
なきゅるがらし
(エイスリ サースリ スリガ)
さとがうえなきゅるが
わういが・ハレわういがなきゅる
チジュヤハマウリトテ チョイチョイナ

太陽の落ちる間際
鳴く烏がいる

それは里(女性側からの恋人)の上で鳴いているか
私の上で鳴いているのか

〈沖永良部島和泊町和泊 松尾千代 総覧118頁〉

 この歌詞を打ち出しとする唄が奄美大島にあって、「てだ太陽ぬ落てまぐれ節」といわれている。奄美でも、烏の鳴き声は不吉とされ、誰の不幸を暗示して鳴いているのかと心配する文句である。
 ここで、4句目が「わういが・ハレわういが」と、部分反復されていることが気になる。だが、8886調歌詞の最後句を8音にするために、この手の反復をすることはよくあることなので決めてになるものではない。
 しかし、ここで両者を結びつける決定的な点を二つあげることができる。一つは、この「ながくも節」にも、「長雲節」と同じ、霊を呼ぶ唄だから深夜には歌わないというタブーが伴っていることである。今一つは、「チジュヤハマウリトテ チョイチョイナ」(千鳥が浜に下りて チョイチョイと鳴く)というハヤシコトバである。奄美大島の「長雲節」にもときおり、相方ハヤシの文句として、類似のコトバが歌われることに気付くのである。例をあげる。

ハレイー うややとしとりゅり
わぬやィハレイはなさきゅりィ
わぬやィハレイはなさきゅりィ
(チジュリャヤ ハマウリトテ
  チュイチュイナ)
ハレイー としとりゅるうやぬ
ひゃくさィ・ひゃくさねがおィ
ひゃくさィ・ひゃくさねがおィ

親は年をとって
私は花を咲かせて(栄えて)



年をとった親の
百歳の長寿を願おう

〈宇検村屋鈍 唄 吉永武英  瀬戸内町古仁屋 ハヤシ 豊田とみ 総覧132頁〉

 これまで一致すれば、繋がりないとするほうが不自然ではないだろうか。
 ついでながら、このハヤシコトバを聞いたなら、沖縄の人であればすぐに気付く唄がある。雑踊りの唄「浜千鳥節」である。

「浜千鳥節」

たびやはまやどぅい
くさぬヤレふゎどぅまくら
にてぃんわすぃららん
わやぬ・ヤレわやぬうすば
チジュヤハーマヲゥティ
チュイチュイナ

旅は浜宿りをし
草の葉を枕に寝る
寝ても忘れられない
我親のお側

(琉球 240頁)

 「わやぬ・ヤレわやぬ」という部分反復があることも含めて、沖永良部の「ながくも節」と同系曲であることは否定できない。曲調から島の人々もこのことを知っている。
 ここで、明らかになったことは、どの唄も海の唄だったということである。沖永良部の「ながくも節」も、かつては海上に浮かぶ帯のような長雲を歌ったものであったことが想像できる。
つぎなる問題は、沖永良部「ながくま節」の歌詞の問題である。「てだぬうてまぐれ」で始まる歌詞が、奄美大島の「太陽ぬ落てまぐれ節」の打ち出しの歌詞であることは先に述べた通りであるが、曲自体は繋がりがあるのかどうか、ということである。

「太陽の落てまぐれ節」

ハレーイ てだぬうてまぐれに
いしゅてなきゅるからす・からす
ハレコレサーサト
かながうぇがィあろかィ
わうぇが・わうぇがあろかィ;
アワレサートト
  わうぇが・わうぇがあろかィ
(アワレシサート わうぇが・わうぇがあろかィ)
ときやむぬしりに
うらないばしめてきちゃっとィ
ハレコレサートト
かながうぇもィあらぬィ
わうぇもあらんちどゆんちゃんなィ
アワレサートト わうぇもあやんちどゆんちゃんなィ

太陽の落ちる間際に
止まって鳴く烏

恋人の上で鳴くのか
私の上で鳴くのか



時や物知り(巫者)に
占いをさせてきたら

恋人の上でもない
私の上でもないということだった

〈奄美市笠利町埼原 上村藤枝 総覧142頁〉

 この系統の唄に限って、打ち出しだけが8886調に近い4句体歌詞を2つ合わせた8句体歌詞が一首として歌われる。つまり、上の句で不吉な不安を歌い、下の句でそれを打ち消すという知恵を働かせた結果だと考えられよう。
 歌い方において、上の句において、「からす・からす」「わうぇが・わうぇが」のような部分反復がみられる。下の句は、反復をしないかわりに「うらないしめてきちゃっと」「わうぇもあらんちどゆんちゃんな」と、8音よりはかなり長い句になっている。これまであげてきた、いくつかの唄との繋がりを、どうしても考えざるを得ない。
 もう一点注意したいのは、この「太陽ぬ落てまぐれ節」に、太陽が沈むまでは歌ってはいけないというタブーがあるということである。「長雲節」「ながくも節」の、夜中にうたってはいけないというタブーとは反対だが、何時、何処でもむやみにうたってはいけない唄という点で、繋がってくる。仕事唄起源の唄がどうして霊を呼ぶ歌になるのか、私はそれに対するはっきりした見解を述べることはできないが、奄美大島の巫者(シャーマン)ともいうべきユタが、神祭りのときに、仕事歌「イト」を取り入れて歌っていたことと関係あろうかと思っている。
 ここで、「太陽ぬ落てなぐれ節」と全く同じ歌が、奄美大島南部に「御枕節」といわれて伝承されていることに触れないわけにはいかない。これも打ち出しの歌詞から付けられた曲名である。つぎのようの歌われる。

うまくらよまくら
むぬいわぬうまくら・まくら
ハリクリ サーサー
            かながなかわなか
いうなまくらィ
ハリガサート いうなまくらィ
(ハリガサート いうなまくらィ)
うまくらぬいじて
むぬいうたんみれば
ハリクリ サート
かながなかわなか
いゃだなうきゅむぇ
ハリガサート いゃだなうきうむぇ

御枕よ枕
物をいわない枕よ

恋人の仲私の仲を
いってくれるな枕


御枕が出て行って
物をいうことがあれば

恋人との仲私の仲を
いわずにはおかれようか

〈瀬戸内町諸数 武下和平 総覧69〜70頁〉

 8886調歌詞2首を合体して歌っていること、上の句だけだが「うまくら・まくら」と部分的反復がみられることからも、「太陽ぬ落てまぐれ節」と異名同曲であることは疑いない。念のため、もう一つの証拠をあげるなら、以下のような歌詞が、両曲に共通して歌われる傾向があるということである。

とうふしげたちくて
そうめんしうをばちくて
しんこやぐしゅにして
わかなみりが

豆腐で下駄を作って
素麺で緒を作って
線香を杖にして
私の恋人に会いに

〈宇検村湯湾出身、重枝豊人氏より小川聞き書き〉

びきゃにくらかけて
あみにくちひかし
やされこべあべて
ゆなかしぬでいきゅり

蛙に鞍を掛けて
蟻に口を引かして
ヤサレコレと叫んで
夜中偲んで行く

〈同上〉

 いずれも、この世ではありえないことが歌われているが、それは「御枕節」の打ち出しの歌詞ともも共通する。なお、「太陽ぬ落ちまぐれ節」が、霊を呼ぶ歌と意識されていることともいくぶん繋がりが感じられてならない。
 なお、問題は、「御枕節」と、曲名や歌詞の上で関連する歌が、徳之島と沖永良部島に残っているということである。ともに「枕節」といわれている。

まくらくらまくら
むんだんゆなまくら
ヤリクリ
かながなかわなか
いゆなまくら
ハレガヨーサト ナーイキャシュンガ

枕くら枕
物をいうな枕

恋人との仲私との仲を
いうな枕

〈徳之島町手々 福山 米ほか 総覧90頁〉

まくらくらまくらナ
  むにいるなまくら・まくら
ハリバサーヌ
さとぅがくとぅわくとぅ
いるなまくら
ハリバサーヌ
いるなまくら
ハリバサーヌ
いるなまくら
テークラサーヌ
〈和泊町和泊 選 ヨ子 大観662〜3頁〉

 歌詞の類似はいうまでもない。沖永良部の「枕節」には「まくら・まくら」と部分的反復がみられる。ハヤシコトバを比較しても、「太陽の落てまぐれ節」「御枕節」に出てくる「ハレコレサートト」「ハリガサート」は、徳之島の「ハレガヨーサト」、沖永良部の「ハリバサヌ」に繋がるのではないだろうか。ちなみに「サート」をつづめた「サト」は、沖縄の歌に頻出する「里」、つまり女性側から男性の恋人をいう言葉である。
 以上の条件から、私はこれらが起源を一つにする歌だと考える。
 つぎは、大島の宇検村方面に伝わる「朝別れ節」である。特に同村湯湾地区では、昔から「長雲節」のきょうだい分に当たる歌という伝承がある。

あさわかれだもそ
かにくじさやしが
(スラヨイヨイ)
かにくじさやしが
(ウマドアレシリャレユールイ)
きゃしゃにとかはつか
ぬきゃに・ぬきゃにすぎよ
ぬきゃに・ぬきゃにすぎよ

朝別れでさえ
こんなに苦しいのに



どうして十日も二十日も
あなたなしに過ごせようか

〈宇検村湯湾 中山音女 宇検132頁)

 歌唱法の上では、ABBCDD反復をしていること、4句目Dに部分的反復が見られる点で「長雲節」と一致する。もう一点、看過できないのが、曲名と歌詞から別れを歌っていることである。前にも記した通り、「長雲節」は歌遊びの別れ歌として歌われるところが多い。かつ、結婚式の時、娘が実家から出ていくときの別れ歌だったと伝えるところもあり、「別れ」という一点で明らかに結びついている。
 このことと関連し、「行きょれ節」といわれれる遊び歌も注目すべきである。歌い手の間では、「長雲節」と何処となく似ている感じの歌としていわれてきたものであるが、これも内容的には別れの歌である。

わかれてやヨーいじむよ
わすれてたぼんな・たぼんなヨーアレ
イキョウレ ヨーイヨイ
(イキヨカナ)
まにまにヨーたよりヨー
むたちマタたぼれ・たぼれヨアレー
イキョウレ ヨーイヨイ
〈瀬戸内町古仁屋 朝崎郁江 総覧62頁〉

 曲名はハヤシコトバから付けられたもので、「私は行くから、あなたはここにいなさい」という意味である。
 歌い方は、2句目Bと4句目Dに部分的反復が見られる。2句目、4句目を反復していない点では「長雲節」と大きく違うが、この部分反復と、別れを歌っているという点で類似する。
 なお、この「行きょれ節」の打ち出しの歌詞を

なごびらぬちじに
           しりゃどりぬいちゅり
しらやどりやあらぬ
みよていしゅたまし

なご(地名)坂の頂上に
白鳥が止まっている
いや、白鳥ではない
みよてい(人名)主(尊称)の魂だ

〈大成459頁〉

 としている所があるが、明らかに死者の魂を歌ったものである。前述の通り、死霊を恐れて「長雲節」を夜中、絶対歌わないところがあることとなどを考えると、そこ点でも結びついてくる。
 最後に、大島北部の「塩道長浜節」が、大島全域、喜界島、徳之島でも親しまれている「らんかん橋節」と同じだということはすでに述べたが、どう位置付けられるのか考えてみたい。
 「らんかん橋節」の歌われ方から示す。 

うくみじぬいじてヤーレ
らんかんばしあれながらィ・ながらし
(ソラヨーイヨーイ)
らんかんばしあれながらィ・ながらし
(らんかんばしあれながらィ・ながらし)
しぬでもるかなやィヤーレー}
なしどィマタもどりゅィ・もどりゅィ
(ソラヨーイヨーイ)
なしどィマタもどりゅィ・もどりゅィ

大水が出て
欄干橋が洗い流された



愛人の所へ偲んで来た加那(恋人)も
会えずに泣いて戻って行く

〈奄美市笠利町埼原 上村藤枝 総覧〉

 8886調4句体歌詞の2句目、4句目を反復している点、かつ2句目、4句目に「ながらしィ・ながらし」「もどりゅィ・もどりゅい」のような反復があることをみると、一般的な「塩道長浜節」よりは「長雲節」に近いことが分る。
 なお、「らんかん節」でよく歌われる次の歌詞も重要である。

うけみじぬいじて
しらたながばあれながらし
ゐどとりゃぬかなや
なちどぅむどぅる
〈文153頁〉

ながみきりゃがれば
うきやとれどれと
うきやとれどれと
ななはなれみゆり
〈同上155頁〉

 前者歌詞の「いどとりゃぬかなや」のところは、「いしょしゃぬとじや(漁師の妻は)」と歌う所も多いが、いずれにせよ、「うくみじぬいじて らんかんばしあれながらち・・・」の歌詞がこの文句から生れたことは想像に難くない。もともとは、恋歌というより、庶民の下世話な歌だったということである。
 後者の歌詞は、正に海の仕事歌に相応しいもので、実際、『南島歌謡大成 后 ̄眸篇』の「イェト」の章には、いく首も類似の歌詞が載っている。
 かくて、「長雲節」に連なる唄がつぎつぎと明らかになって、実に多くの奄美のシマウタが、仕事唄、イトを起源としていることが確認されたのである」。

6、「俊良主節」「かんつめ節」「黒だんど節」と仕事歌との関連

 この項では、論証というより、口頭伝承やよく歌われる歌詞の内容から、仕事歌起源の歌とおぼしき歌をあげ、若干の説明を加えておきたい。

1)「俊良主節」の場合

 奄美大島では、あいさつ歌である「あさばな節」の次に歌われることが多く、人気曲の一つである。この歌の「俊良主」とは、現奄美市名瀬出身で、奄美初の国会議員になった基俊良のことを指し、「主」は上層の出(ユカリッチュという)の男性につける敬称である。
 『日本民謡大観(奄美・沖縄)奄美諸島篇』の「俊良節」の解説には、「草薙ぎ歌だったという説がある」と記載されている(511頁)。
 先ず、歌われ方をあげる。

なくななげくな
いちぶぬしょんじょしゅィ
ヨーヤイリー
やとじぬ
(やとじぬ)
みよかなあせ
ヤーレイヨーイ
(ソラーヌヨイヨーイ)
ちもりありょてィど
にがしゅィみしょィちゃるィ ヤイリー
やとじぬ
(やとじぬ)
みよかなあせ
ヤーレイヨイヨーイ
(カサネテヨーイヨーイ)
ちもりありょてィど
にがしゅィみしょィちゃるィ ヤイリー
ナローヨーイ シローイ

泣くな嘆くな
伊津部(地名)の俊良様

あなたの妻の

みよ加那姉さんは


定めがあって
苦い潮を召し上がった(海で亡くなった)のです

〈奄美市笠利町用 池野無風 総覧201頁〉

 この歌では8886調の定型の歌詞も歌われるが、不定形が多い。この打ち出しの歌詞の場合、何句体とするかが確定しにくいが、「ちもりありょてど にがしゅみしょちゃる」を1句体とみなすか、2句体とみなすかの問題である。今は、4句体歌詞に近いといっておくのが無難かと思う。
 この詞章から、仕事歌起源の歌とみなすことは不可能である。ただ、何人かの研究者が、「俊良主節」といわれるまでに、いろいろな歌詞と結びついて、曲名を変えてきたことが報告されている。
 文英吉は、「俊良節」以前は「ふなぐら節」といわれたといい、恵原義盛は「ぬぶしのたかさ」(別名「うくまた節」)から「ふなぐら節」に、そして「ぎんどろ節」、「俊良節」に変わったという。
 このうち、「ぎんどろ節」という曲名だけは、俊良主のことが歌われるようになった時代のもので、人が当人の前で歌うのを嫌い、当時の銅貨、ぎんどろを与えて歌うのを止めた、という話から付いた曲名と伝わっている。従って、ここでは曲名の由来となった歌詞のみをあげる。

「ぬぶしのたかさ」(一名「うくまた節」)

ぬぶしぬたかさや
うくまたぬぬぶし
うれよりもたかさや
せめやむむびらぬたかさ

登りの高いのは
奥俣(地名)の登り
それよりも高いのは
住用(地名)の百坂(坂の名)の高さ

〈恵原109頁〉

「ふなぐら節」

ふなぐらみちや
あいかながされて
かよていもらんな
きよたみおきてしゅ

船倉に通じる道は
あい加那(女性名・愛称)が浚って
通っていらっしゃいませんか
きよたみおきて主(男性名・尊称)

〈同上〉

 仕事歌トン関係がより強く感じられるのは、後者の方である。「道浚い」の時に歌われたこ とが十分考えられる。「草薙ぎ」と「道浚い」は全く別種の作業だが、仕事歌の場合、一つの歌が、別の場に転用され歌われることは、1の項で述べた通りである。

2)「かんつめ節」の場合

 悲恋の末、首をくくって自殺したかんつめという女性を歌った歌である。今日歌われるこの歌の雰囲気から、仕事歌起源の歌とはおよそ想像できない。しかし、『大奄美史』の著書、昇 曙夢は、かんつめが生前よく歌っていた「草薙ぎ唄」を、奥宮嘉喜という宇検村湯湾の男性が、かんつめを偲んでそれに歌詞を付けて歌ったのが始まりだ、といっている。
 この草薙ぎの歌が、今はシマウタとなって一部に伝承される「飯米取り節」であることは、曲調の上からも疑いをいれない。
 この2曲をあげておく。

かんつめ節

ゆべがであすだる
かんつめあごぐゎ
ヤイリー なィあちゃがよねんたりば
(よねなィたりば)
ごしょがみちにみすでふりゅィり
ヤイリー なィあちゃがよねんたりば
(スラヨイヨーイ)
ごしょがみちにみすでふりゅィり
ダンショダンショヌ カサネテヨーダンショ

夕べまでともに歌遊びをした
かんつめ姉さん
その明日の宵になったら

後生の道に御袖を振って逝く

〈奄美市笠利町喜瀬 山田フデ 総覧29頁〉

「飯米取り節」

だかちがいもゆる
いるじりゅめらべ
はんめぬたらだなしゅてぃ
(ハラドッコイドッコイ)
はんめぬたらだなはんめとりが
はんめやわがとてむたさば
(ハラドッコイドッコイ)
わったりだんだんひるやまやこや
ヒノヨーヤーレ

何処にいらっしゃるのか
色白の娘さん
飯米(食料)が足らなくて

飯米が足らなくて飯米取りに
飯米は私が取ってあげるから

私たち二人だんだん昼山を焼こう

〈瀬戸内町諸数 福島幸義 総覧61〜2頁〉

 これに2首ほど決まった歌詞が続く。
 『奄美民謡大観』(1933)には、「色白めらべ節」として、当時の龍郷村浦辺で歌われており、この歌詞は他地域では「かんつめ節」で歌われるとある(203頁)。また、徳之島の一部に「島かんちめ」といわれる歌があるが、今日ではなぜか、かんつめのことは歌われず、「飯米取り」の歌詞が歌われるのである。
 ここに出てくる「昼山を焼く」とは、草を薙いだあとにそれに火を付ける燃やす野焼きのことだが、奄美ではもう一つの意味がある。男女の性の営みをも現しているということである。焼畑に蒔いた食料の豊穣と人の生殖のための行為を一つにした言葉だと考えられるが、いずれにせよ、今は哀しい歌の代表として歌われる「かんつめ節」が、もともとはのどかな仕事歌であったことは非常に重要なことといえよう。
 なお、曲名と歌詞以外の注目点が一つある。
 「飯米取り節」の

はんめぬたらだなしゅてぃ
(ハラドッコイドッコイ)
はんめぬたらだなはんめとりが
     

 の部分をどのようにみるかということである。
 ここでは完全な反復とはなっていないが、「はんめぬたらだな」が反復されたものだとするなら、「塩道長浜節」「長雲節」その他に頻繁に表れた部分反復と同類ということになるのである。つまり、それらの歌との近い関係も推定可能だといえる。

3)「黒だんど節」の場合

 曲目の「黒だんど」は「空が黒ずんだ」という意味で、もともとイトであったとか、雨乞いの歌だとか、子守り歌だったといわれる。その根拠とみなされる歌詞(最初のものだけ歌詞反復、ハヤシコトバを含めた詞章)をあげる。

ハレイー うたちあめィヨ
ヨーハレー くるだんどぶしぐゎで
うたちあめヨーイ
ヨーヤレイ くるだんどぶしぐゎで 
うたちあめ
(スラヌヨーイヨーイ うたちあめ)
ハレイー いとどやるヨー
ヨーハレーいしょやまむどりぬ
いとどやるヨーイ
ヨーヤレイー いしょやまむどりぬ 
いとどやる

歌だろうか
くるだんど節なんて
歌だろうか



あれはイト(仕事歌)だ
磯や山から戻ってくるときの
イトだ

〈宇検村生勝 坪山 豊 総覧189頁〉

 この歌詞からだけでは、「くるだんど節」がイトだったとは即断できない。「いとどやる」というのは、「イトのように簡単に歌える歌だと解釈できるからである。しかし、少なくても仕事から戻る時に鼻歌のように歌われていたことは確かであろう。
 なお、この歌の詞形の面からいえることもある。本論で今まで引用した多くの歌詞の詞形は8886調の、いわゆる琉歌調といわれるものである。しかし、この歌詞はそれとは全く違って、585・585調であることが分る。しかも、この8音は、8886調にみる3+5、ないし5+3の8音ではなく、4+4音である。奄美でもこの系統の詞形で歌うものは、「くるだんど節」以外に「行きゅんにゃ加那節」「いそ加那節」「(奄美)数え歌」などがあるが、どうしても何時の時代か、本土から移入されたものであると推定される。(この音数は「梁塵秘抄」などに頻出するもので、本土に昔から伝わる「数え歌」によく出てくるものであることを別稿で述べたことがある)。
 とすれば、「くるだんど節」がある時期、仕事歌として歌われていたとしても、曲自体がもともと仕事歌であったのではなく、仕事歌に転用されたと考えるのが妥当と思われる。

くるだんど
あまごいねがたっとぅ
くるだんど
うぃかりまえ
しまじゅぬちゅんきゃぬ
なうぃかりまえ
〈恵原 117頁〉

 詞形は前の歌詞と同じである。これだけでは、雨乞いのための歌であったかどうかは断定できない。もし、そうだったとしても、これもまた転用が考えられるからである。

くるだんど
なかがちごっちぬ
くるだんど
えたきしゅやよろこび
みよまちなきまえ
〈文 186頁〉

 三つ目の歌詞は、上の句は575調だが、下の句が98調で88調に近い。
 「くるだんど節」は、もともと上の句と下の句旋律が同じであるから、

えたきしゅや
よろこびみよまち
なきまえ

 と、584調にすれば歌えないこともないが、この句切りはいかにも不自然である。他の「くるだんど節」の歌詞に、5885調(ABCD)のものがかなりあることを考慮すると、AとDに当たる歌詞があったと考えられる。
 いずれにせよ、これも前の歌詞同様、「くるだんど節」がもともと仕事歌であったという証拠にはならない。子守りしながら口ずさむことのできる簡単な歌だった、と考えるのが妥当であろう。
 よく、仕事歌に分類される「糸繰り節」というシマウタがあるが、これも糸を繰ったり、機を織ったりする時に歌われる。もともとの仕事歌ではなく、シマウタの転用である点では、「くるだんど節」と同様といえよう。

まとめ

 仕事の歌が、座敷に入って座興の歌になった例は、本土民謡にも数え切れぬくらい見られることだが、奄美の場合も例外ではなかった。なお、音楽的な問題ではあるが、仕事歌がシマウタになるや、歌い手の感情移入によって、曲調、テンポ等に大きな変化がおき、仕事歌の面影を全くといってよいほど失うということも分った。このことは、ある意味、叙情の深化といえるかもしれない。
 また、別の面からみれば、歌詞やハヤシコトバや歌詞反復は、歌の場や目的が変わっても、引きずられるように付いていくことが確認できた。
 本論では触れなかったが、今日、仕事歌「イト」は、実際の場で歌われることはない。しかし、座敷に入り、また舞台に登って、島の三線がついて歌われることが多い。これが、今後新たな歌を生んでいくのかどうか、大変興味あるところである。(2012・02・23)

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Last-modified: 2012-02-28 (火) 11:48:08 (3524d)