奄美民謡とジェンダー
Folk Songs in Amami lslands and Gender
〔キーワード〕奄美、民謡、ジェンダー、女性優位
小川学夫

〔要旨〕

 奄美の伝統的な社会は特に民俗の上から,母性原理が優勢で,女性優位の地域であるといわれ てきた。姉妹を神として扱うウナリ神信仰がその一つの表れである。このことを奄美の民謡を通 して観察しようと試みたのが本稿である。
 奄美諸島に伝わる民謡は大きく行事の歌,仕事の歌,座興の歌に分類されるが,3者に共通し た特徴は,男女の歌掛け(交互に歌を歌い合い,歌問答を行う)が原則だということである。そ こに男女の力関係がどう表出しているかを,演唱形式と歌詞の面から分析してみた。果たして, 女性優位傾向がはっきりと表れた。しかし,特に歌詞からみる恋愛,婚姻段階に男性の甘え構造 がみられることも明らかになった。

〔目次〕

1.はじめに(凡例を含む)

 奄美,沖縄のジェンダー論を展開するために,民俗学の立場から轡かれた報告や論考は相当数 あるが,伝承歌謡,それも奄美民謡に関するものはそうあるとは思えない*1。本稿は先行 の仕事をふまえつつ,奄美民謡全般について,ジェンダーに関わる,たどれる限りの過去と現在 の実際の姿を把握しておこうというものである。

 いくぶん結論めいてしまうが,奄美も含めた南島は,基層的に母性原理優勢の文化圏にあると されている。欧文化にもそれが濃厚に反映されているのではないかと想像できる。しかし,その なかでも奄美の独自性や,時代の影響による変化もあるはずであり,そのこともできるだけ記述 するつもりである。

 なお,論考を進める前に,奄美民謡の一応の定義をしておきたい。緩やかだが,本稿では「奄 美諸島に居住する一般庶民が,生活の折節に集団で歌ってきた伝承歌謡」とする。種類としては, 島々の諸行事に歌う歌,仕事の時に歌ってきた歌,歌遊びといわれる社交,ないし座興の場で歌 われてきたシマウタがある。広くは,長詩形の叙事的な歌詞も歌われるが,ここでは主に個人対 個人,ないし集団対集団の掛け合いで歌われる短詩形の歌を主に扱うこととする*2

 (凡例)詞章は既刊の著書から多くを引用したが,文字,改行等,表記の体裁は変更した。歌 詞は全て平仮名,ハヤシコトバないし投げコトバはカタカナにし,所有格ないし主格を表す助詞 「ぬ」は,全て「の」に変えた。原文に発音上の特別な記号があるものについてもこれを除いた。  右の共通語訳は,採集者の訳を参考にした筆者,小川の試訳である。「くゎ」「クヮ」(小さなも の,卑近なもの,愛着をもったものに付される接尾語),「カナシ」「ガナシ」(尊いものに付ける 接尾語)はそのまま訳文中にカタカナで記し,「かな」(愛しい人に付ける愛称),「しゅ」(良家 の男主人に付ける尊称),「まんじよ」(遊女に付ける呼称),「じよ」(女性に付ける呼称)には, 慣例的に使われている「加那」「主」「慢女」「女」の文字をそのまま当てた。

2.演唱者と演唱形態にみられるジェンダー

l)八月踊りの場合

 「八月踊り」というのは奄美大島を中心とした土地土地の名称であるが,これを「節踊り」「七 月踊り」「浜踊り」「夏目踊り」「千人踊り」などというところがある。この系統の踊りが流布す るのは,奄美では奄美大島(加計呂麻,請島,与路島も含む),喜界島,徳之島である。奄美で はどこでも旧暦の七月,ないし八月が1年の折節(夏正月という研究家もいる)と考えられてい た時代があり,そこにいく日かの祀り日が集中しているのであるが,そこで集落ごとに踊られる 集団舞踏を「八月踊り」などと称しているのである*3

 踊りの形態は地域によって,必ずしも一様ではないが,原則的には複数の男性と,女性が参加 する。踊りがうまくいくには,ほぼ同数になることが望ましい。ただ,今日過疎地において,男 女のバランスがとれないところでは,女性だけ,ないしほとんどを女性で踊るというところが多 いようである。

 踊りの隊列については,大きく2つのタイプに分かれる。1つは,参加者全部で1つの輪を作 るというものである。この時は,男女ばらばらに位置するのではなく,1つの輪を男女で分ける 形をとる。そこには性差が表れる余地はほとんどない。

 もう一つのタイプは,これは奄美大島,宇検村や徳之島のいくつかの集落に顕著に見られる例 であるが,渦巻き状になるということである。これについては,かつて本田安次氏が,踊りの群 が家から家に練って入っていくとき,そこですぐに輪にはならず,渦になっていくのだ,として 注目されたものである*4。そこでは,渦巻きになったり,その渦巻きをほどいたりしなが ら踊るのである。

 ここで,徳之島の研究家,松山光秀氏は徳之島の踊りを観察した結果,女性の列が男性たちを 包み込む形になるということを,発見をされた。氏は,これを南島の,女性が男性を守護すると いうウナリ(姉妹)神信仰の発露としてみるのだが,一考にあたし、するものと思う*5

 さて,もう1点,八月踊りは,踊る者,歌う者,チジン(太鼓)を打つ者とが三者一体となっ た踊りである。後年,踊りの最後に系統の違う「六調」が加わるようになって,サンシン(三味 線)も入るようになったが,八月踊りの楽器は,ただチジンのみである。この踊りの輪に入った 者は,例外なく全員が踊り,ほとんどの者が踊りながら歌い,かつ数人のものが歌って踊りなが ら太鼓を打つという仕組みになっている。

 この時の歌は,男女の掛け合い,つまり交互唱である。複数の人々がどうして掛け合いができ るのか。今はあらかじめ用意されたテキスト通りに掛け合いをするところも少なくないようだが, 本来は即興的になされたものである。ただ,即興といっても,表現の上で全く新しい歌詞がその 場で創作されるというのではなく,すでに膾炙された歌詞をそのまま出したり,−部変えて歌う というのが実情である。しかし,男女の歌掛けである以上,男女それぞれに統率する者はいなけ ればならない。それが「ウタジャシペ(歌出し部)」とか「ネトリ(音取り)」などといわれ,そ れぞれの先頭に位置することになるのである。つまり先頭の者同士は,踊りの輪にあっては隣り あうことにもなる。いってみれば,歌掛けの真の当事者はこの二人で,あとの人々はウタジャシ ベの歌に唱和する形だといっても間違いではない。従って,先頭から並ぶ順序は普通歌をよく知 り,上手い順だともいわれる。ここには,上手い下手の差は考慮されるが,男女の上下関係は全 く問題にされないといってよいだろう。

 ここで問題になるのは,チジンの打ち手である。左手にチジンを持ち,右手でバチを打つとい うのはかなりの体力を要する。だから,男性が一手に引き受けるのかというとそうではない。奄 美大島でも北部では総じて女性が太鼓を打つ傾向があり,南部と徳之島では男性が持つ傾向があ る。

 なぜ,分かれるのか。どちらが本来の形なのか。いろいろな解釈が可能だろうが,体力とか, 力仕事をどちらかに押し付けたということではあるまい。

 私の結論は,チジンは本来女性の楽器であったということである。その背景には,奄美の伝統 的な祭祀は,女性が中心となって行われ,その時チジンが重要な役割を持っていたことを考えな ければならない。その祭祀とは,いうまでもなくノロ(祝女)といわれる人たちの村の安寧を 祈ったり,海の彼方から神を招いたり,その神を送ったり,豊作,豊漁を祈ったり,といったも ろもろ行事のことだが,そのどれにもチジンが付き物であることは明らかである。チジンは,神 を呼び起こすものであり,自らもそのリズムによって神懸かり状態になるという,一種の呪具と すら考えられるのである。

 思い起こすと,八月踊りの起源をノロの祭祀に求める考え方があるくらいに,(私は踊りと歌 そのものは別系統だと考えているが)両者は近い関係にあることは確かである*6。八月踊 りで,今日なおチジンは女性が打つべきものとしているところは,チジンが女性の楽器であると いう記憶を今に残しているということであろう。

 次は,歌掛けの際,男女のどちらから打ち出すか,ということである。今のところ,男性から 始めるというところが多いが,女性からというところもないではない。地域的な傾向というのは 特に見当たらず,例えば,同じ奄美大島の笠利町内でも佐仁では,男性から打ち出すのが決まり であるし,宇宿では女性から始めるのが普通である。

 最初に歌うことは「主導権を持つ」という意味にもなるし,また主客の観点からすれば,主人 側が客を歓迎する,という意味にもなる。これで性差を云々するのはあまり意味あるようには思 えない。

 いよいよ歌の問題になるが,男と女では生理的に音域が異なることは明白である。この時,サ ンシンのような音の高さをはっきりさせなければならない楽器が用いられると,それに合わせる べく何らかの工夫をしなければならないが,チジンのような音の高さにはほとんどこだわらない 楽器の場合は,お互い同士のバランスを考えれば歌い続けられるものである。いろいろな地域の 報告を読む限り,当たり前のことながら同じ旋律でも,男性が低めに,女性が高めに歌っている ようである。中には,1オクターブ以上差のあるところもあるようだ。これは,あとに扱うシマ ウタでは大きな問題となるが,八月踊りの場合は,男女の生理的なことがらとして考えてよいよ うである。

 このことに少し関連あるが,裏声の問題がある。シマウタではもっぱら男だけが使うものだが, 八月踊りは,曲はきわめて限られるが,男女ともに使う部分がある。奄美の歌になぜ裏声が現れ るのか,大きな疑問である。

 なお,男女全く異なる旋律掛け合う例も報告されているが*7,そのメカニズムについて は,今後,音楽研究の専門家に精査してもらいたい。

 最後に,八月踊りでも地域によって,テンポが速まる地域と,終始変わらない地域とがある。 前者,速まるところでは,歌掛けの際,相手がすっかり歌い終わらないうちに,被さるように次 の歌詞を歌うという場合があるが,これは競争心の現れである。

 今も八月踊りが盛んな笠利町佐仁で,ある男性から歌掛けに勝つには,女性が聞くに耐えない ような下がかった歌(本土でよくいうバレウタと理解してよいだろう)を歌って,それに返せな くすることをよくしたものだと聞いたことがある。

 過去はともかく,今日辿られる限りの八月踊りにおいて,勝ち負けはその時の状況によって, 自然と判断きれるものであり,またその結果によって具体的な懲罰とか報償があるわけではない。 しかし,相当な勝敗意識が誇らしく感じさせたり,悔しがらせたりしたことは事実のようである。 八月踊り系の歌舞にみられる顕著な性差は,渦巻き状になったときの男女の位置と,太鼓の打 ち手が男か,女かということであるが,島の人たちはほとんど男女対等なものと意識していると いってよいだろう。

2)田植え歌の場合

 奄美諸島で,田植え歌がこのようにはっきりと残っているのは徳之島だけである*8。仕 事歌の代表としてこれをあげたのは,他の仕事歌に比べ性差がはっきりと表れているからである。 むろん,仕事歌は仕事に付随するものであるから,仕事自体に表れた性差と密接に結びついてい るわけである。他の仕事歌の場合,仕事の性格上,同性の者同士でやったり,両性が入るとして も,男女の役割に余りこだわらないことが多い。例えば,舟漕ぎ歌などは,全く男性だけの歌 だったし,また機織り歌はもっぱら女性の歌であって,異性の者は入る余地がなかったといえる。 これに比べると,徳之島の田植え歌の場合は男女それぞれの役割がはっきり決まっている。田 圃に入って田植えをするのは原則的に女性であり,それを畦道に立って見守るように応援するの は,男性が中心である。田植えができなくなった年輩の女性もそれに加わることがなくはないが, 一応男性の側に位置づけておいてよいと思う。

 田植えを女性だけで,男が行わないことは全国的なことがらで,それは民俗学的な問題である。 おそらく稲の孕みと子どもを産む女性とを結びつけた,いわゆる感染呪術によるものと思われる が,ここではこれ以上踏み込まないこととする。ただ,かつて徳之島において田植え歌は仕事歌 を越えて,儀礼的な要素も濃厚に持っていたことはいくらいってもいいすぎではない。つまり田 植えに歌を歌うことは,その田の豊作を祈ることであった。従って,特に新しい田圃を作ったり, 人から譲り受けたときは歌が欠かせなかったという。田植えする女性はともかく,畦で歌を歌う 男性は貴重な存在で,自分の集落にいないときは,遠い集落からでも探して来て貰うものだった といわれる。

 さて,問題とする徳之島の田植え歌は,田植えする女性たちと畦で太鼓を打ちながら歌う男性 たちの掛け合いによって成り立っているということである。そこに表れたジェンダーを考察する のがこの項の目的である。ただあらかじめ断っておきたいのは,私がこれまで調査し,分析した のは徳之島でも花徳と井之川の2地域に限られるということである。幸いに,長い間徳之島を中 心に奄美の伝承歌謡を詞章面からも音楽的な面からも綿密に研究してきた酒井正子氏が,この地 域も含めた多くの地域の田植え歌を分析している*9。私もそれから多くを知ることができた。 先ず分析の手がかりに,井之川と花徳の田植え歌の詞章を記述しておきたい。

 井之川の例
 [歌詞]

  1.きゅうの よかるひや
    しゅんたぱる うえて
    しゅんたぱる いにや
    うまれ なしき

今日の 良い日に
下の田圃を 植えて
下の田圃の 稲は
豊かな実りを 成すよ

  2.うまれ いにがなし
    かまかけて みぷしゃ
    またもとてみぶしゃ
    うりが たまし

実った 稲ガナシは
鎌を掛けて みたい
またも 取ってみたい
それの 取り分

  3.うまれ いにがなし
    うさげさげ かるり
    きょらうまれ めれぐゎ
    うさげめ−だき

実った 稲ガナシ
押し上げ押し上げ 刈るよ
きれいな生まれの 娘グヮは
押し上げて 前から抱くよ

  4.きょらうまれ めれんきゃ
    しまのため なるめ
    やまと いしょぎらの
    ためど なるい

きれいな生まれの 娘たちは
島の ためになるだろうか
本土の きれいな衣装を着た人の
ために なるだけ

[実際の歌われ方]

  1.(男)ハレーウネ ウネーヨー
       きょうの よかろひやヨ
       しゅんたばる うえて
       しゅんたばる いねやアレ
       うまれなしき
    (女)ウネウネ
    (男)しゅんたぱる いねやハイ
       うまれなしき

  2.(女)うまれ いにかなしヨ
  かまかけ(男)エてみりばヨイサー
    (女)またも とてみぶしやヨ
       うりがたまし
    (男)ハイウネウネヨー
    (女)またも とてみぷしや
       うりがたまし

  3.(男)うまれ いにかなしヨ
       うしゃげしゃげ かるりヨ
       きょらうまれ めれぐゎハイ
       うしゃげ めーだき
    (女)ハイウネウネ
    (男)きょらうまれ めれぐゎハイ
       うしやげめ−だき

  4.(女)きょらうまれ めれんきゃ
       しまいため(男)エやなるめ
    (男)やまと いしよぎらぬヨー
       ためどなるい

ハヤシ
歌詞1句目
歌詞2句目
歌詞3句目
歌詞4句目
相手方ハヤシ
歌詞3句目反復
歌詞4句目

歌詞1句目
歌詞2句目 後句男割込
歌詞3句目
歌詞4句目
相手方ハヤシ
歌詞3句目反復
歌詞4句目反復
歌詞1句目

歌詞2句目
歌詞3句目
歌詞4句目
相手方ハヤシ
歌詞3句目反復
歌詞4句目反復
歌詞1句目

歌詞2句目 後句男割込
歌詞3句目
歌詞4句目

*10

 花徳の例
 [歌詞]

  1.ぱぱどばばどばばど
    たかもちやばばど
    あしぐゎこてたかち
    いりの あぐま

嫌だ嫌だよ 嫌だ
高持ち(金持ち)は 嫌だ
昼食グヮを食べてからも 田圃に
入るのが 辛い

  2.あしぐゎ しかて
    あしかまちば すれば
    きょらめれの きゅむんぬ
    だかち うきゅめ

昼食グヮを 付けられて
昼食を食べようと すれば
きれいな娘が 来るので
抱かないで おかれようか

  3.きょらめれの がまく
    だちみちゃん ぬせんきゃ
    せんじはゆ ふれな
    ぬたる こころ

きれいな娘の 腰を
抱いてみたか 青年たちよ
千里走る 船に
乗ったような 心だ

  4.せんじはゆ ふねや
    たなしちぐゎど はゆじ
    うまの はいくちや
    けぶし まきゆじ

千里走る 船は
種油グヮを敷いたかのように走る
馬の 走った跡は
煙を 巻いていく

 [実際の歌われ方]

  1.(女)ぱばどぱぱど ばばど
  たかもちや(男)ばぱどヨイサー
     (女)あしぐゎこて たかち
       いりぬ あ(ぐま)
     (男)ヒウネウネヨー
     (女)あしぐゎこて たかち
       いりぬ あぐま

  2.(男)(あしぐわ)しかてヤレサヌ
       かまちぐゎ すればヨ
       きょらめれの きゅむんの
      (だかち うきゅめ)
    (女)ウネガウネー
    (男)きょらめれの きゅむんの
       だかち うきゅめ

歌詞1句目
歌詞2句目 後半男割込
歌詞3句目
歌詞4句目 後2音脱落
相手方ハヤシ
歌詞3句目反復
歌詞4句目反復

歌詞1句目 前4音脱落
歌詞2句目
歌詞3句目
歌詞4句目脱落
相手方ハヤシ
歌詞3句目反復
歌詞4句目反復

  3.(女)きょらめれの がまく
  だちみちゃん(男)ハレにせんきゃヨイサー
    (女)せんじはゆ ふねな
       ぬたる(どころ)
    (男)ハイウネウネ
    (女)せんじはゆ ふねな
       いたるごこる

  4.(男)(せんじはゆ)ふれやヤレサヌ
       たなしちぐわど はゆじヨ
       まぬ はいぐちや
       けぶし まきゅじ

歌詞1句目
歌詞2句目 後半男割込
歌詞3句目
歌詞4句目 後3音脱落
相手方ハヤシ
歌詞3句目反復
歌詞4句目反復

歌詞1句目 前5音脱落
歌詞2句目
歌詞3句目
歌詞4句目

*11

 先ず女性側から歌を歌い始めるか,男性側から始めるか,という問題がある。この2例では, 井之川が男性から始められ,花徳が女性から始められているが,酒井論文では全島でも山地区と 花徳地区だけが女性から打ち出すところだと指摘している。男性打ち出しの地域が圧倒的に多い ということである。

 といって,どちらが本来的な形であったかは,今は軽々に結論できない。
 考えてみると,男たちの役割はあくまで田植えする女たちに,よりよく歌わせることにあった。 女性側にすれば田を植えることが第1の目的であって,歌うことそれ自体は第1の目的ではない のである。当然,男性側が主導権をとっていたのではないかと,考えられるのだが,実際の歌わ れ方をみていくと,男性が主導している部分もあるし,女性が主導している部分もあって,一概 にいうことはできない。

 それとまた,田植え歌と八月踊り系の歌の打ち出しが,どちらからやられるかをみた場合,例 えば,田植え歌を男性女性から始める井之川では,八月踊り系の夏目踊りでも男性から打ち出さ れる。反対の花徳では,八月踊り系の同地でいう千人踊りは女性から打ち出される。精査はして いないが,両者の打ち出しはほとんど一致しているように思う。ということは,両者は大いに影 響しあった結果であり,八月踊り系の歌同様,本来の形にさかのぼることは困難であり,また打 ち出しをどちらかが取るかということは,必ずしも田植え歌の主導権とは結びつかないというこ とになるのである。

 田植え歌における次の問題は,歌詞の部分的脱落と,割り込みのことである。

 部分的脱落というのは,本来歌詞があるのに,歌われないことだが,一句全体を脱落させるか,1 句の前半の何音かを脱落させるか,1句の後半何音かを脱落ざせるかのケースに分かれる。

 1句全体を脱落させたものは,花徳の例にみられる。3の歌詞を男性が歌ったさい,4句目を そっくり歌っていない。しかし,5の歌詞ではきちんと歌っているから,この採集例だけのこと ではないかと思われる。

 前半脱落の場合も花徳の男性側だが,2,4の歌詞を歌うさい1句目の前の部分を脱落させてい る。このような現象がどうしてできるかについては理由がある。花徳の田植え歌における歌掛け の構造を考えなければいけないのである。つまり,花徳のそれは尻取り式に歌を続けるのが原則 であり,採集例に即していえば,以下のように継いでいくのが原則なのである。

 1.女側3,4句目反復部分
 2.男側1,2句目

 2.男側3,4句目反復部分
 3.女側1句目

 3.女側3,4句目反復部分
 4.男側1,2句目

あしぐわこて たかち いりの あぐま
(あしぐゎ)しかてヤレサヌ あしかまちぐわ すれば

きょらめれの きゅむんぬ だかち うきゅめ
きょらめれの がまく だちみちゃん(男)ハレにせんきゃ

せんじはゆ ふねな ぬたる(どころ)
(せんじはゆる)ふれやヤレサヌ たなしちぐわど はゆじ

 以上から明らかなことは,先行者が反復した3句目の歌詞の頭の部分を,後続者が新たな歌詞 の冒頭句としてもらうという形で歌い継いでいくということである。その場合,男性が継ぐ場合 は与えられた語句を省略する。それが,つまりは歌詞脱落ということになるのである。しかし女 性は省略しない。この違いをどうみるかは,見方が分かれるかもしれない。私は,女性主導,男 性追随とみる。

 実は,花徳のように尻取りのようにはなっていないが,1句目の冒頭部分を脱落する地域は, 他にもあるようである。前述の酒井氏が採集された目手久地区の例から1,2,3の歌詞の歌われ 方だけをみてみる。

  1.(男)(*****)たぐゎや
       ひしぴしと うえて
       いじくちや かたく
       うまれ(なしき)

  2.(女)(あうないや)てけて
       てもみしゅ(たばこ)
       むぞが そばよれば
       きざみ(なりゆん)

  3.(男)(うえぬ)たぐゎんま わたぐわ
       しゅぬたぐゎんぱ(わたぐわ)
       わゆみ なりうなり
       まぐみ(だかす)

歌詞1句目前脱落
歌詞2句目
歌詞3句目
歌詞4句目後脱落

歌詞1句目前脱落
歌詞2句目後脱落
歌詞3句目
歌詞4句目後脱落

歌詞1句目前脱落
歌詞2句目後脱落
歌詞3句目
歌詞4句目後脱落

*12

 ここでは,先行者の歌の語句の一部を後続者がとるという花徳の田植え歌にみた原則は,全く ない。だが,なぜ男も女も1句目の最初の部分を脱落させるのかという理由は,かつて前の人の 歌の一部をとって歌ったその名残だと考えるのが自然である。

 次は,1句の後の部分の欠落の問題である。

なぜ欠落したのかという最も大きな理由は,歌掛けのさい後続の側が前の歌が終わらないうち に,我先にとかぶさるように歌ったことにある。先行の者は,その後を歌う必要がないと考えて しまったのである。この現象は,−部地域の八月踊りにもみられ,中には,脱落部分がどういう 語句だったか忘れてしまったところもあるくらいである。

 ここで,酒井氏が前掲論文の「歌の継ぎ方」の項で示された見解は重要である。氏はこうした 継ぎ方から,徳之島の田植え歌を「男性優位型」「均等入り込み型」「対称型」に分類した。  「男性優位型」には,井之川も入るが,女の歌に続けて男側が合いの手バヤシを入れた後,す ぐ歌い始めるために,女性側が反復のチャンスを失うというものである。

 チャンスを失うとはいっても,下の句(3,4句目)を歌うことは歌うのだが,酒井氏のいう ように「女に比べ男の反復句は入りやすく,男が充実する傾向にある」というのは事実であろう。  「均等入り込み型」は,花徳もその1つであるが,例え相手方が途中から入ってきても完全に 下の句を反復する形である。

 「対称型」は,途中の入り込みがなく,反復も完全に行うものである。
 これらの型は,もちろん昔から分かれていたわけではなく,時代によって地域性を強く押し出 していったのだと考えられる。

 いずれにしても,田植え歌の甲から乙に歌い継がれるさいにできる声の重なりは,歌う人たち 自身にも意識されていたことは確実である。これは想像を超えるものではないが,その声の重な りと男女の結合,そして生命の誕生ということを,人々は無意識のうちにも感じていたのではな いだろうか。

 さて,残る問題は,男性の割込み現象である。井之川の2,4の歌詞,花徳の1,2の歌詞の 歌われ方にみられる。

 男性側にたってみれば,これは女性側をサポートするようでもあり,自らの歌いどころを得る というふうにもとれる。しかし,こんな理由だけで生まれた形式とも思えない。

 私には,先に述べたやはり花徳の例で,女性側が男性の歌の3句目冒頭の語句をもらって,自 分らは1句目冒頭の語句を省略して新たに歌い継いでいく形を思い浮かべられる。つまり,今は 割込みとみえるかかる現象も,前の歌詞の語句をもらって,新たな歌詞を歌っていくことの名残 だと考えられないことはない。かつて奄美の歌掛けでは,2句体歌詞のやりとりの時代があったこ とも確実であるから,この部分に割込みが生じることも不自然ではないのである。

 私説の当否はともかくとして,この花徳の場合,女性側の4句目冒頭句脱落と,男性側の2句 目割込みとは,補完関係を持っているように思う。

 最後に,些末なことかもしれないが,井之川の男性の打ち出しに「ハレーウネ ウネヨー」と いうハヤシコトバが入っていることに注目したい。このハヤシコトバの意味は不詳で,似たもの が徳之島の他の歌にも出てくる。今更いうまでもないことだが,ハヤシとは文字通り「離す」こ とであって,ここではこれから始まる自分たちの歌に活気づけを行っているのである。ここには 女性から始まる花徳にはみられないことと比較して,男性側の役割がはっきりと出ている。
 以上,田植え歌の詞章面に限ってジェンダーの問題を考えてきたが,音楽的にも種々相が表れ ていることは確実である。酒井論文にも,そのことは触れられているが,本稿ではこれまでとす る。

 今,私たちに分かることは,八月踊り系の歌がやや女性優位で来たのに対して,徳之島の田植 え歌は時代により,地域により,男女の役割がかなり変遷してきているということである。

3)シマウタ(遊び歌)の場合

 奄美には今も「歌遊び」という言葉が残っている。取りたてた目的がなくとも,何人かの人た ちが集まり,歌を歌って遊ぶことをいう。そこで出る歌をふつうはシマウタというが,遊び歌と いう言葉も,頻繁に使われるものではないが捨てがたい。全般的な民謡の分類ではさしずめ座興 歌に入れられるものである*13

 他のジャンルの民謡と同様,シマウタの場も近年めまぐるしく変化して,当然歌唱形式もかつ てとは違ってきた。例えば,ひところまでシマウタの生命は歌掛けであるといってもよかった。 しかし,最近のシマウタが歌われる場は,遊びの場から民謡大会やコンクールといった舞台やテ レビなどのマスメディアに移り,掛け合いなどは重視されなくなったといってよい。

 よって,本論で考察の対象とするシマウタも,かつて歌遊びが一般的であった時代のものであ る。

 さて,奄美の歌遊びは取りたてた目的がなくとも行われるとはいったが,遊ぶこと自体が立派 な目的であることはいうまでもない。「遊ぶ」ということには,「神遊び」という言葉があるくら い,ただ単なる娯楽ではなく信仰的な意味も含まれていると,よくいわれるが,奄美の歌遊びを みるとこのことがより実感される。歌遊びをすることで,その家や遊ぶ人たち自身の安寧を祈っ たり,ときに旅だった人たちの安全を祈願することすらあるからである。

 ここで本題に入りたいが,実はシマウタは,八月踊り系の歌や田植え歌のように男女が集まっ て掛け合いをするというのは必須条件ではない。男どうし,女どうしの歌遊びもしようと思えば いくらでもできるからである。そして実際にかつても行われたことは確かである。

 しかし,男性と女性の掛け合いが原則であったことは,いっておいて間違いないと思う。やは り,歌遊びをする人たちとしては,男と女で1つの世界を生み出すという気分が,かなり強くあっ て,男どうし,女どうしの遊びは何らかの事情による変則的なものであるという思いは,どうし ても残るのである。

 さて,奄美のシマウタにおいて性差がはっきりと表れる1つは,伴奏楽器であるサンシン(三 味線)の弾き手のことである。これは同じ南島である沖縄と同様に,もっぱら男性が弾き手であっ た。前項で私は,八月踊り系の歌において,太鼓はおそらく当初は女性だけが打っていただろう という考えを述べたが,奄美、沖縄において,サンシンが女性の楽器とならなかったのはどうし てだろう。

 周知のように,太鼓とサンシンは歴史的にみると太鼓の方が比較にならないぐらいに古い。太 鼓の歴史はよく分からないが,サンシンは14,5世紀に中国から沖縄に入って来たものとされる *14

 ここで推定だが,サンシンを受け入れる側の沖縄は,祭祀時代から王朝期に入ろうとする時期 で,男性がかなり優位に立つ時代であった。従って,太鼓は女性のものだが,サンシンは男側の ものにしようという気持ちが働いたのだと思う。いや,中国においてそもそも三線は男性のもの であったともいえるが,そうだとしても,それをすんなり受け入れる素地が沖縄にはあったと考 えられる。

 サンシンが沖縄から奄美には入った歴史は分かっていないが,かなり後になってからのようで ある。今も,奄美のいくつかの地域では,サンシンなしの太鼓だけで歌遊びをするところがある くらいだ。

 奄美も沖縄も,弾き語りが原則である。問題は,サンシンが入ってからの奄美で,男女のシマ ウタの歌い方にどんな変化がもたらされたか,ということである。

 太鼓がもっぱらリズムをとっていく楽器であるのに対して,サンシンは先ず音高(ピッチ)を 定め,リズムをとり,旋律(メロディー)を奏でていく楽器である。

 ここで第1に問題となるのは,男女歌掛けを原則とする奄美にサンシンが入ってきたとき,生 理的に声のピッチが異なる男と女のどちらに合わせたのかということである。

 奄美の場合は,明らかに女性側に合わせたのである。それで,地声ではその高さに付いていけ ない多くの男性はどうしたのかといえば,裏声を使って合わせたのである。

 周知のように奄美のシマウタの魅力の1つは,男性の裏声にあるといってもよい。しかし,そ れを「逃げ声」という人もいる。つまり地声では,サンシンの高さについていけないので,裏声 で逃げるのだ,というわけである*15

 この裏声は,八月踊りのなかにもわずかだが出てくるし,人を呼んだりするとき,裏声をよく 使う習慣もある。よって,奄美の裏声がサンシンにピッチを合わせるためだけに生まれたもので ないことは確かだが,そうするために裏声を利用し,それをシマウタの魅力にまで高めたことは 事実だといえよう。

 それに対して,沖縄諸島はどうなのだろうか。少なくとも沖縄の王朝で育てられた古典音楽を 聞く限りは男性がサンシンの弾き手であり,かつ歌い手であるから全くサンシンのピッチは地声 に合わせられる。これに対し,男女が歌う地方の民謡になると,ピッチは男性に合わせられる傾 向にあり,女性の喉は当然生理的についていけないから,サンシンの音に和声的に適応する範囲 で,高い声になるようである。中国などに,女性が異常なほどに高く歌う地域もあるから,その 影響も考えられなくはないが,私はサンシンの影響を考える者である。

 ところで,奄美のシマウタとサンシンは,今日も男性と女性の間に様々な問題を引き起こして いる。

 この項最初に,シマウタの場が舞台やマスメディアに移って,歌掛けの場がなくなりつつある と記したが,そうした場にあっても男女が同じサンシンで歌うことはまだ多い。

 舞台が男女歌掛けの形式を求めることは,少なくなったとはいえまだある。また,例え一人だ けの歌が求められる場合も,シマウタには相手方ハヤシを入れるべき歌が多いので,誰かを探し て来ることが必要である。はたまた,サンシンの弾けない女性が主体となって歌わなければなら ないときは,彼女はサンシンの弾き手を頼んで来る必要がある。いずれにしても,ピッチを,誰 かの高さに合わせるとすれば,一方にとっては必ずしもベストの状況とは限らない。ときどき折 り合いがつかず,二人が舞台に上がる直前まで,いい争うことさえ稀ではない。

 もっと,面倒なことも起こる。サンシンが奏でるメロディーが,相手の人の歌のメロディーと 異なるときである。サンシンの弾き手の中には,サンシンはあくまで相手の歌に従うこと,と割 り切る人がいないではないが,実際にはよほど普段から歌い合っていないと齪鰯をきたすケース が多いのである。昔は同じ集落の中で,同じ人たちが寄り合って歌遊びを行ってきたからそれで よかった。しかし,近年は集落は違ってもペアーを組まされることは多い。

 こうした時代背景から,この2,30年,女性の中にもサンシンを習う人がきわめて多くなった。 今や,サンシンは男の楽器であるという意識は,ほとんど払拭されかかっているいるといっても よいだろう。私には奄美の歌文化における第2次女性上位徴候とすら思えるほどである。

 ここで,これは男女の問題を越えて,シマウタとサンシンの関係について奄美の人たちが,ど う意識しているかを補足説明をしておきたい。

 先にも少しふれたが,奄美ではサンシンはあくまで相手が歌いやすいように弾くのが,よい弾 き方だという考えかたが根強いことは確かのようである。ここで,サンシンの弾き方も,弾き手 によって,歌のメロディーを忠実に弾くタイプと,メロディーは大雑把にしてリズムを奏でるタ イプに分かれるようである。これはけっして,どちらがよい弾き手というのではない。奄美のシ マウタにはリズムを意味する「シャクフン(尺寸)」という言葉があって,伝統的にはそのシャ クフンを守らなければ,いかにいい節回しでもいいシマウタとは認められないのである。従って サンシンもメロディよりはリズムが優先されたことは当然で,そのリズムこそ相手に歌いやすく するものと考えられたのである。

 以上のことから,サンシンが歌に付随するという原則は確認されたと思うが,ただ次のような 歌の文句もあって,サンシンに歌を付けるといういい方もなかったわけではない。

 「しゅんかね節」の打ち出しの歌詞

  しゅんかねぐゎの ふしや 
  わがこなち うかば 
  さむせんむち いもれ 
  つけて うぇせろ 

しゅんかねグヮの 節は
私がこなして おきますから
サンシンを持って おいでなさい
歌を付けて 差し上げましょう

*16

 この歌詞からみる限り,女性が男性に向かって歌っているものである。好き合った者どうしの 関係で,主体性を云々するのは余り意味のないことかもしれないが,「私があなたのサンシンに 歌を付けるのだ」という言葉には,女性の優位性が明らかに感じられる。ただ,この「しゅんか ね節」は奄美にとってはかなり近世の外来曲であることが分かっており,また歌詞も三味線が多 く歌われる傾向があるので,特殊例と考えたほうが無難ではあろう。サンシンとシマウタの問題 は一応これまでとする。

 次は八月踊りや徳之島の田植え歌で問題にした歌掛けのさいの打ち出しについてである。結論 的に私は,昔から何処でも打ち出しと男女の上下関係は意識されなかっただろうと考える。ただ, 主客という点からは,歌遊びを設定した主人側から歌い出すことが多いようであるが,これはジェ ンダーの問題とは別である。実際の歌遊びでは,ポレウタ(群歌)といって集団対集団の掛け合 いもないではないが,個人個人がそれぞれ歌を出していくのである。八月踊りや田植え歌のよう にどちらからと決めておかなくとも何の不都合もなかったと考えられる。

 歌掛けにおける勝敗意識については,八月踊りの項でも述べたが,シマウタの場合も強いもの があった。勝敗は何で決めるかといえば,上手い,下手というより歌詞をどれだけ継げるかとい うことである。つまり,歌掛けとは,参加者がその時と場に応じて既存の歌詞を出すか,その場 で新たな歌詞を作って歌問答を繰り広げていくという世界だが,歌詞が継げなくなったときが負 けなのである。

 このことについては次章で扱うつもりだが,奄美では多くの伝説が伝えられている。特に,ヨ ソジマ(他の集落)の人たちの歌掛けは真剣勝負だったようである。ある歌い手が,歌遊びが終 わった夜病気になることがあった。そのとき、まわりのみんなは,彼が相手の歌のクチ(呪力) にやられたに違いないと思ったという(註17)

 それより,もっと具体的な事例は,歌遊びはかつて男女社交の場であり,相手に求婚するため に歌ったということである。今はまだ,男性側からの聞き取りしかないのだが,思う女性がいて 彼女と結婚したければ歌掛けに勝つことであったという。つまり,様々な歌問答をしかけ,相手 がそれ以上答えられなくなったとき,わがものになるのである。実際こうして結婚したという人 は今もまだ残っている*17

 このことをして,歌掛けは男性中心の世界かといえばそうではない。歌掛けの勝敗は男女が約 束する手続きなのである。女性側には相手の求婚を拒否する歌詞もたくさん残されていて,どう しても嫌な人との掛け歌はすでに終わっているのである。

 昔話のなかに「謎解き婿」というジャンルがあることを思い起こしたい。娘と結婚するために, 娘ないし娘の親が男に難題を出し,それを解いてめでたく結婚するという話である*18。私 は,結婚の条件として男性が歌掛けで女性に勝つということは,ちょうど男が難題を解くことと 同じだと思う。
 かくて,シマウタにも女性上位傾向が強くみられることが明らかとなった。

3.歌詞群からみたジェンダー

 前章で述べたように,奄美民謡は多く短詞形の歌詞をやり合う形で成り立っているが,*19 以下はこれらの歌詞のなかに,ジェンダーがどう表出しているかを中心にみていくことにする。

1)曲名となった人物とその歌詞

 奄美民謡でも,とりわけシマウタには特定の人物を歌った歌詞が多く,同時にそれらは曲目に なっているものが少なくない。*20

 登場する人物を男女別にみれば,女性が曲名になっている場合が圧倒的に多いというのが私の 印象である。思いつくままにその人物をあげてみても,女性では「かんつめ」「いそ加那」「む ちや加那」「うらとみ」「はる加那」「嘉徳なべ加那」「うんにゃだる」「ちょうきく女」「謂くま慢 女」「よれ姉」などがいる。男性では「やちや坊」「こうき」「儀志直」「俊良主」があがるに過ぎ ない。

 それに加えて注目すべきは,奄美の曲名の付けられ方が,明らかに女性優先だということであ る。今あげた女性のうち,かんつめ,いそ加那,ちょうきく女は,それぞれ岩加那,梅仁志主, 活国という人物がいての存在である。例えば,いそ加那が歌われている「いそ加那節」の打ち出 しの歌詞は以下の通りである。

 うめにししゅ 
 だかちが いもゆる 
 うめにししゅう
 はなぐれが
 いそかな はかかち 
 はなぐれが

梅仁志主
何処に いらっしゃるのか
梅仁志主
花を手向けに
いそ加那の 墓まで
花を手向けに

*21

 梅仁志主は,外の歌にも女性好きな人物として顔を出す人だが,この歌のいそ加那は本妻で, 若いときに苦労をかけた妻の死を弔うざまを歌ったとされる。どうみても,歌の主人公は梅仁志 主であると思われるのだが,けっして「梅仁志主節」とはいわれない。

 同じく奄美大島,徳之島のシマウタ,「ちょうきく女節」も同様である。

  ちょうきくじょ
  だかちが いもゆる
  ちょうきくじょ
  がっきょうちが
  いきょも はてかち
  がっきょうちが

  かつくんやくめ
  だかちが いもゆる 
  かちくんやくめ
  ちゅみちなりが
  かなしゃる ちょきくじょと
  ちゅみちなりが
  

ちょうきく女よ
何処にいらっしゃるのか
ちょうきく女よ
らっきょを打ち(堀り)に
伊古茂(地名)の 畑に
らっきよを打ちに

活国兄よ
何処にいらっしゃるのか
活国兄よ
一道成り(心中)に
愛しのちょうきく女と
一道成りに

*22

 百年以上も前に加計呂麻島で起こったという,ちょうきく,活国という若い男女の心中事件を 歌った歌である。相思相愛の仲が親たちに許されなかったとか,活国の片思いだったといういろ いろな説があるが,真相は分からない。ただ,どちらが曲名になってもおかしくないことは確か なのだが,「活国節」とはいわないのである。

 考えてみると,ちょうど日本の浄瑠璃などに出てくる男女が,「お染め久松」,「お夏消十郎」 のように女性が先行する原理と同じことではないだろうか。

 ただ,先にあげた「俊良主」のみが「みよ加那」という妻と一緒に歌われているにもかかわら ず,男性名が曲名になっている僅かな例といえる。しかしこれは明治になってからの歌であり, 「金色夜叉」の2人が「貫一お宮」のごとく,男性優先になったことと呼応するであろう。
 ともかく曲名の付けられ方においては,女性優先が明白である。

2)ウナリ(姉妹)神信仰とウナリを歌った歌詞

 南島とジェンダーの問題をとらえる場合,歌のことはさしおいても,ウナリ神信仰を度外視す るわけにはいかない。「ウナリ」(「ウナイ」とも)とはもともとは姉妹のことで(姉と妹の区別 はない),この信仰は,姉妹の霊性が兄弟を守護するという考えの上に成り立っている*23。  奄美各地の伝統的な諸儀礼のなかには,ノロといわれる女性のカミンチュ(神ごとをする人) が登場するが,彼女らは集落全体のまつりとは別に,兄弟や兄弟の息子たちの所に出向いてやる まつりがある。それらは正にウナリ神の資格としてである。

 これが制度化されていたのが,沖縄首里王朝の聞得大君(きこえおおきみ)の制である。王室 では王が政治を行い,女性神官としての聞得大君がまつりごとを司った。彼女の主たる役割は, 太陽の御子としての王に太陽のセジ(霊力)を下ろして身体に付けることであったが,時に国の 行く末について王に忠告することもあったのである。彼女は王の姉妹ではなかったが,その根に ウナイ神信仰があったことは間違いない*24

 このような儀礼や制度でなくても,奄美沖縄にはウナリ神信仰が強く影を落としている。奄美 民謡の中にも「ウナリ神」を歌ったものがある。

 ふにの たかどもに
 しるどりの いちゅり
 しるどりや あらぬ
 うなりかみ がなし

船の 高艫に
白鳥が 居る
白鳥では ない
ウナリ神 ガナシ

*25

 あがるてだ をがでぃ
 とくいらぶ わたてぃ
 をなりがみ をがでぃ
 わしま むどろ
 

上がる太陽を拝んで
徳之島,沖永良部に渡って
ウナリ神拝んで
わがシマ(村)に戻ろう

*26

 前者は,白い鳥をウナリ神の化身とみて,男たちの船旅を守護していると歌ったものである。 後者も旅に関係がある。太陽と並んで,ウナリ神にも安全な旅を祈願しているのである。問題は, ここでウナイ神というとき,ノロのような制度化されたカミンチュをさしているのか,実際の姉 妹ないしそれに準ずる女性たち(例えば,妻や恋人)に霊性を認めてそう呼んでいるのかという ことである。ノロも旅の安全を祈ったことは十分考えられるから,彼女らそのものを歌ったとも いえる。実際,この歌の白鳥は白衣を着たノロを歌っているのだという説をたてた人もいるくら いである(註24)。しかし,姉妹らを神とみなす習慣が根強くあった時代,実際の姉妹を思い浮 かべながら歌ったとしても間違いとはいえない。卑近な例だが,今日世の夫たちが「うちのヤマ ノカミ(山の神)が……」というときの気分とやや同質のものがあったのではないだろうか。

 ところで,こんな歌が残されているためと,ウナイが夢のなかで,航海している父と兄の命に 関わったという話があるために,奄美沖縄のウナリ神信仰と,中国から沖縄に入った旅の安全を 守護する女神「媽祖」との繋がりを指摘する研究家もいる*27。私も,どこかで相当の接触 はあると思うが,ウナイ神信仰は日本本土の母性信仰のほうがより近いと考えられる。「ウナイ」 という言葉自身も「オナリ」などといわれ,娘の意味で日本各地に残っているからである。
 なお,「神」という語はつかないが,ウナイを霊力ある存在として崇めるような雰囲気の歌は, 他にもいくつか見つけることができる。

 奄美全域の踊り歌「稲摺り節」

 きばてしれしれ をなりんきゃ
 しょてかめて とらしゅんど
 

気張って(稲を)摺れ摺れ ウナイたち
所帯を頂き取らすから

*28

 徳之島の田植え歌より

 うえのたぐゎんば わたぐゎ 
 しゅんたぐゎんば わたぐゎ
 わゆみなれ うなり
 まぐみ だかす

上の田グヮも 我が田グヮ
下の田グヮも 我が田グヮ
我が嫁になれ ウナイよ
真米を 丸抱すよ

*29

 奄美大島のシマウタより

 うむておる かなに
 くいや いちみゃらむ
 いわば きちくりり
 たまの うなり

思っている 恋人に
声掛けを いったことはない
今いうから 聞いてくれれ
玉のようなウナイよ

*30

 最初のウナリだけが,実の姉妹である可能性はあるが,他は一般的な娘の意味で使われている。
奄美の民謡の中で娘のことを呼ぶのに外に「カナ」「メワラベ」(メラベメレなどとも)「ウナ グ」「アセ」などが使われるが,それぞれ「愛しい人」「女童」「女の子」「姉」の意味である。  なかでカナは男性にも使われる。アセは実の姉をもいうことはもちろんであるが,もっと年輩 の女性をいう場合もある。いずれにせよ,ウナイが私には最も愛着を込めた言葉のように思えて ならない。

 本題に入るが,計らずしも前2首は働く存在としてのウナイになってしまった。近年のフェニ ズム論者によると、日本の民俗事象にみられる女性優位傾向も実質を見直されなければならない という。一口にいえば,男性は女性優位をいいことに,結局は労働の大分を女性に頼って,実際 は男性の方が楽をしているのではないかということである*31。いわれてみれば,次の徳之 島の「正月歌」などは,それにあてはまるようである。

 しょうがつめーや なゆり
 はたらきよ うない

正月前に なった
働けよ ウナイ

 わきゃや すばゆとて
 いゃんとぎ しゃべら
 

私が 側に寄って
お前のトギ(伽)をしよう

*32

 「トギ(伽)」とは,今日も奄美に残っている言葉だが,歌を歌ったり,話をしたりして相手を 慰めたり元気づけることである。この歌の正月前の主な仕事というのは,おそらく夫や子供らの 正月の晴れ着のための機織りや縫い物であるに違いない。このときのトギは,男性側からすれば 1種の仕事と意識されていたことは確かなことである。また,トギ自身,する方にもされる方に も大きな楽しみであったはずである。近代になって生活上,遊びと仕事は峻別されるようになっ たが,昔は両者はもっと境目のないものだったと考えるべきである。

 ここで,徳之島の老婦人が7,80年前の芭蕉の糸を紡ぐ作業のことを懐かしく話してくれたこ とを思い出す。糸作りは大概若い娘さんの仕事で,夜に月明かりを頼りにやることが多かった。 そこに表れたのがサンシンを持った青年たちである。自然歌掛けになる。熱中した夜の翌朝,紡 いだ糸を見てみると,ほとんど使いものにならなかったという。遊びと仕事が1つの世界が,奄 美にもつい何10年前まであったのである。

 それと,田植えや機織りなどが,ウナリ神としての女性の役割分担に属していたことも否定で きない。田植えは前章でも述べたが,稲の生育と子供を産む女性との結びつきは確かであり,機 織りはかつて神衣を自らが織った名残りであろうと考えられるのである。

 奄美のウナイと男たちの関係が,どの点からみても同等,あるいは女性の方が上であったとい う気持ちはさらさらないが,前掲フェミニストの全面的男性優位論も肯定するわけにはいかない。

3)神女を歌った歌詞

 南島におけるウナリ神信仰と神女たちのことは前項でふれた通りだが,この神女たちが,特に シマウタの中に数多く登場することを述べておこう。

 その前に,ここでいう神女という言葉の意味をはっきりさせておかなければならない。先ず彼 女らは,必ずしも神話に登場する神としての女というのではなく,信仰を通して神に関わる女性 だということである。奄美にはカミンチュ(神人)という言葉もあって,神女はカミンチュのな かの女性というのが当たっているだろう。その神女も,ノロ系とユタ系に分かれる。ノロは世襲 で,主に集落の安寧や豊作,豊漁を祈るためにおかれた存在である。脇ノロ,オッカンなどとい われる人たちがこれを補佐する形になっている。一方のユタは,ホゾン,モノシリ(物知り)な どともいわれ,なおそれは女性だけとは限っていないのだが,ある時期神懸かりする能力を得て, 神の言葉を聞いたり,死者の霊を下ろしたり,生者の未来を予見したり,不浄をお祓いしたりす るシヤーマンのことである。なかにこの両者を兼ね備える人もないではないが,原則的にははっ きりと区別される。

 歌に出てくる神女たちをみると,そのいずれかは必ずしもはっきりとしないのだが,ここに幾 人力、の神女をあげてみよう。

 奄美大島のシマウタ「上がれ世のはる加那節」

 あがれよの はるかなや
 だにむらの いにがなし
 うまみちゃみ ひこじょかな
 てるこ くまよし 

上がれ世の はる加那は
何処の村の 稲ガナシか
それを見たか ひこじょ加那
テルコ(聖所)の くまよしよ

*33

 問題の多い歌の1つで,これを「上がれ日のはる加那節」といっている所も多い。「上がれ世 の」だと,「上がれ世界の」という意味になるし,「上がれ日の」だと,「上がる太陽のように神々 しい」という意味になる。それから考えられる「はる加那」像も,神話の中の女神か,伝説上の 神女かに分かれるであろう。どちらが古い形か,はっきりとした証拠はないが,島で実在の人と して語られている形跡がほとんどないことを考えると,神話上の人物とみるのが妥当のようであ る。なお,この女神をしてノロ系か,ユタ系かといえば,「いにがなし(稲の神)」とある限りノ ロ系といってよいだろう。ただし,今日でもこの歌はユタの人たちが,正式の儀礼を終えたあと の直会ともいうべき場で,よくこの歌を歌うということがある。自分らの祖であるという意識は あるのかもしれない。

 このおよそ意味不明の歌にも神話的な話が付いていて,これは南島のジェンダーを考えるのに 格好の資料となる。

 (奄美大島の根瀬部地区に伝わっていた話)
 はる加那は天上から稲の種をこの世に持ってきた天女であった。そこで,彼女は地上のひこ じよ加那という男と一緒になる。しかし,はる加那には,実は天上に,〈まよしという本当の夫 がいた。

 かつては,奄美の何処でもミキャムドイ(三日戻り)というのが行われたものである。それは, 結婚して3日目に妻が里帰りするというものである。しかも夫婦の同衾はその日に行うのが決ま りであった。天は遠く,夫もいたのではる加那は里帰りができなかった。従って夫婦でありなが ら,ひこじょ加那にはいつまでも初夜がこないので嘆いた。*34

 ここにミキャムドイが出てきたことについては,「上がれはる加那節」のもう1つの歌詞と繋 がりが認められる。

 てるこから うれて
 きゅうど みきゃなりゆり
 みきゃむどり ゆふぁむどり
 しゅんちゅど みぶしゃかなしゃ
 

テルコから 降りて
今日は 三日になる
三日戻り 四日もどりを
した人は 見たい愛しい

*35

 とはいえ,この歌と話とがもともと1つのものであったとは考えられない。話としても,別に はる加那が天上から稲種を盗んできて罰せられる話が伝わっているが,この方が古いはずである。 ミキャムドイの話は,後になってこの歌の文句を説明するために作られた話ではないかと,私は 想像する。

 しかしこの話には,結婚における男女の位置関係がよく表現されている。結婚は,男を押し頂 くものなのである。結婚してからも,その主導は女性側がとる。ひこじょ加那が初夜を迎えられ なかったというのも,考えてみると,神女不犯を教えた話であることが分かる。

 だが,これは神女と俗世の男の話であって,一般庶民には何の関係もない話だといわれるかも しれない。それは違う。奄美には,嫁取りのことをいう「トジカメ(妻冠め)」という言葉があっ て,妻を冠のように頭に押しいただくという考え方が今も残っているのである。

 奄美大島のシマウタ「雨黒み節」の歌詞より

 でくますけじろう かなが
 われべとじ かみて
 めーなで くしなで
 だちゅて ふでそ
 

大熊(地名)肋次郎 加那が
ワラペトジ(幼妻)を 冠めて
前を撫で 後を撫で
抱いて 大きくするよ

*36

 ワラベトジはむろん神女ではないが,押し頂くという気持ちが込められた歌であることは間違 いない。

 「いにがなし(稲の神様)」のようにはっきり神女であると歌っているものは,今はこの歌くら いしか思い浮かばないが,ほかにその内容から神女としか考えられない歌はいくつも存在する。

 奄美大島のシマウタ「芦花部一番節

 あしきぶ いちばん
 うぃんとのち ぱぁかな
 こぅばや いちばんや
 さねく こぅばや

 うぃんとのち ば−かなや
 しろごみじ ごころ
 さるくちゅの かじに
 なしのまれて

芦花部(地名) 一番の美女は
上殿地の ぱぁ加那
クバヤ(船の種類)競争の 一番は
実久(地名)の クバヤ

上殿地の ぱぁ加那は
しろご(川の名)水の 心(ようだ)
通る人ごとに
慕われて

*37

 最初の歌詞については,話が伝わっている。ある時,村々から集まった者たちの舟漕ぎ競争が あった。実久の青年たちもそれに加わったが,途中,芦花部の集落に立ち寄って,美女で知られ ていたばあ加那に会った。そこで彼らは力水を貰い,再び舟漕ぎを始めたが,一番になった,と。  ばあ加那が,ただの美女ではなく神女だったことは,彼らに力水を与えたことでも分かるし, 歌詞にある「ウントノチ(上殿地)」が多くノロなどの居住地であったことからも分かる。2首目 も,ノロが水神をまつることと関係あるだろう。例えそうでなくとも,ばあ加那が`、清く,人に 慕われる女性であることが分かる。まさにウナリ神として折にふれて,人々に力を与えてきた女 性であることがイメージされる。
 美しい歌になって残ったばあ加那に対して,次の「なく加那」はつい最近まで大いに誤解され てきた神女である。

 奄美のシマウタ「嘉徳なべ加那節」

 かどく なくかなや
 いきゃしゃるひの うまれしてか
 うやに みじくまち
 いちゅて あめる

 かどく なくかなや 
 しじゃるこぅい きけば 
 みきゃや みきちくて 
 なぬか ゆわお

嘉徳(地名) なべ加那は
いかなる日の 生まれをしたか
親に 水を汲ませ
自分は居ながらに 水浴みをする

嘉徳なべ加那が
死んだという声(噂)を聞けば
3日はミキ(神酒)を作り
7日は 祝おう

*38

 奄美には「神を拝むより,親を拝め」ということわざがあるくらい,親を大切にする土地柄だ が,なべ加那は,親に水を汲ませる親不孝な女として語られることがしばらく続いたのである。 この2首目についても,親不孝者が死んで島中の人が大喜びをして祝った,と解釈されたほどで ある。しかし,近年は,なべ加那は親も水を汲んで崇めるような神高い女で,彼女が死んだとき 多くの人が盛大な神遊びをして天に送った,といわれるようになった。今はこの説がかなり行き 渡ったようにも思う。

 しかし,もう一つ裏返してこの歌詞を味わうなら,「あなたは神の子を生んで立派に育てたが, その娘にも尽くさなければならない」という,親に対するいくぶんかの同情も込められているの ではないだろうか。それでなければ,親不孝者説があれだけ深く島中に浸透した理由がわからな くなるのである。

 次に,歌詞から窺うかぎり全く神女とは思えないのだが,それにまつわる話の断片から,神女 の可能性がある「けさまつ」という女の歌をあげておこう。

 奄美大島のシマウタ,喜界島の八月歌「塩道長浜」

 しゅみち ながままなんて
 わらべ なきしゆる
 うりや たるがゆい
 けさまつ あせはだゆい

塩道(喜界島の地名)長浜に
童の亡霊が泣いているが
それは誰故に
けさまつの魅力ある汗肌故だ

*39

 この歌にまつわる話はこうである。
 喜界の塩道にけさまつという美女がいたが,男嫌いで知られていた。ところがあるとき,1人 の男が執拗に彼女にいい寄り,ついに逢い引きにまでこぎ着けたのであった。その場所が塩道長 浜である。さて,けさまつは喜界の名物ともいわれた馬を連れてやってきた。そこで彼女は男に このようにいう。「馬が逃げるといかないので,手綱をあなたの足に結わえ付けてさせて下さい」。 男はいわれた通りにする。すると,けさまつは,持ってきた傘を馬の目の前でサッと開いたので あった。馬はびっくりして走り出す。男を引きずったままである。男は死んでしまう。以後,こ の浜で,夜な夜な青年の泣き声がするようになった。それはけさまつのせいだというのである。 余りの残酷な話に,けさまつ神女説をとる人がでてきた*40。男は神女を犯そうとしたた めに罰せられたというものである。これも「上がれ世のはる加那節」でみた神女不犯説話である と考えられないわけではない。奄美のノロは,かつては結婚しないという地域があった。今日の 女性ユタも,その道に入ったあとは,夫を性的に拒否したり,夫より上におくケースが少なくな いと研究者のレポートにある。そうした意味で,けさまつが神女であったという考えは,きわめ て信恩性が高い。

 男性に,もっぱら崇められるべき対象としての神女についての紹介はこれまでとして,この項 の最後に,神女の雫落した姿とされる遊女,奄美でいうところのゾレ(ズレ,ズリなどとも)に ついて述べておきたい。神女が遊女にまで変遷していく歴史的経緯については,日本史における 巫女から白拍子など遊び女への変遷にほとんど重なるものと思われるが,詳しくは諸著,諸論文 を参考にしていただくことにしよう*41

 奄美では,特にマワリ(回り)ゾレといわれる遊び女たちが島の各地を回り,集落のはずれに 小さな小屋をしつらえ,そこで男性客をとって遊ばせていたことが,明治になってもあったよう である。そこでの遊びとは,むろん春をひきぐことも含まれてはいたが,歌遊びをすることも重 要なことがらであった。

 それを経験した人は,ほとんどいなくなってしまったが,かつて聞き取りしたかぎりでは,小 屋で相手をしてくれるゾレは聖女のごとき存在で,青年たちには憧れの的であったという。ゾレ は,歌の中では「マンジョ」(慢女とよく当て字される)という言葉で出てくるが,そのいくつ かをあげてみよう。

 奄美大島のシマウタ「調くま慢女節」

 うけくま まんじょちば
 あがんがれ きょらさるうなぐ
 いしれば つゆのたりゅり
 たてれば みずのはりゅり

 うけくま まんじょちば
 しまじゅの ちゅのねじきどやる
 ねぐさ せんぎんがれ
 だしんそんな あがれのまえおりしゅ

 うけくま まんじょや
 しまじゅうの ねたさ
 やんとじ なさりゆみ
 あがれの まいおりしゅ

請(調島のこと)くま慢女といえば
あんなにまで 清らなおなご
座れば 露が垂れ
立てば 水が流れるようだ

請くま慢女といえば
島中の人の 寝敷であるよ
見謂けに渡ござを 千斤まで
出しなさるな 東の前織主よ

請くま慢女は
島中の 妬まれ者
貴殿の妻には なされようか
東の前織主よ

*42

 徳之島のシマウタ「あむろの慢女節」

 あむろの まんじょや
 かまちのやみゅん むれぬせきゅんち
 いざぁどんの しんやくより
 ぎさんしゅが ひざまくら

阿室(地名)の慢女は
頭が痛み 胸が咳き込むということだ
医者殿の 新薬より
儀実主の 膝枕の方がよい

*43

 これらの歌詞から,ゾレは清らかで,美しい存在であるとともに,男に媚びを売り,ときに人 から蔑まされ,嫉妬されるというアンビバレンスな存在であることが明白である。
 後世になるとゾレという言葉は,もっぱら身持ちの悪い女を名指す言葉になっていく。

 奄美のシマウタ「うんにゃだる節

 うんにゃだるの ふれむんの
   ちこれくゎぱ はんにゃぎて
 やまとずれ すぃろち
 あかきな はりくらでぃ
 

うんにゃだるは 馬鹿者だ
乳飲み子を はん投げて
大和(本土)の男とゾレをしようと
赤木名(地名)に 走りくさった

*44

 うんにゃだるは,いわゆる遊び女としてのゾレではなかっただろうが,当時薩摩から派遣され てきた役人たちがたむろする赤木名に走って,ヤマトンチュ(本土の人)の誰かかれと一緒になっ たというのである。ゾレと全く一緒にすることは当たらないが,かって薩摩から島流しや役人と してやってくる男たちに島妻(アンゴといった)があてがわれた時期がある。西郷隆盛の愛加那 などがそうである。うんにやだるも,自ら志願してアンゴになりに赤木名までいったのである。 ついでだが,当時アンゴになることは名誉なことであり,愛加那のように良家の娘がなることも 多かったのである。しかし一方では,うんにやだるのように軽蔑される存在であったことも確か なことといえよう。

 アンゴはともかくとして,遊び女としてのゾレをジェンダーの問題としてどう捉えるかは,今 は結論できないが,ゾレが奄美の文化史の上ではけっして無視できない大きな存在である,とい うことだけはいっておきたい。

4)父母,夫婦,きょうだいを歌った歌詞

 奄美の伝統では,父母,夫婦,きょうだいをいうのに「アンマ(母)とジュウ(父)」,「トジ (妻)とウト(夫)」「ウナリ(姉妹)とエケリ(兄弟)」のように女性が先行するのはよく知ら れたことである。ついでながら,きょうだいの長幼を表す本来の言葉は,セダ(兄か姉)とウト (弟か妹)だけで,兄,弟,姉,妹それぞれをいう言葉は,伝統的にはない。

以上のようなことが,奄美民謡の実際の歌詞の中ではどう表れているのだろうか。父母の例か ら示す。

 奄美大島のシマウタ「行きゆんにゃ加那節」

 あんまとじゅ
 きのどく かんげんしょんな
 あんまとじゅ
 まめこて こめこて
 かまらしゅんど

母と父よ
気の毒に考えるな
母と父
私が豆を買って米を買って
食べさせるから

*45

 奄美のシマウタ「黒だんど節」の歌詞より

 あんまが うかげ
 きょうぎん きりゅしも
 きょらきび すんしも
 あんまが うかげ
 じゅうが うかげ
 そろばん ならうんも
 てならい するしも
 じゅうがおかげ

母のお陰
きれいな着物を 着るのも
きれいな帯を 締めるのも
母の お陰
父の お陰
算盤を 習うのも
手習い するのも
父の お陰

*46

 1首目は,文字通り「父母」への呼びかけの歌だが,2首目は上の句で母の恩を歌い,下の句 で父の恩を歌うというものである。この「黒だんど節」は,もともと上の句の旋律と下の句の旋 律は全く同じである。歌詞もご覧のように7887音(ただし1句目,4句目は6の場合もある)が 2つ重なった形で,それぞれ上の句,下の句を栂成している。入れ替えはいくらでも自由なはず だが,伝統的には母の方が優先される。

 なかに,島のあるウタシヤ(歌い手)が,日本では父が先で母が後であるのが当たり前なのに, この歌詞はおかしいのではないかと異議を唱え,父の部分を上の句にして歌ったことがある。彼 は影響力のある人なので,今もこれに従っている人がわずかにいるが,大勢になるまでには到っ ていない。

 二親のうち母親優先は,南島だけでなく記紀歌謡,万葉全般にみられる傾向である。日本の古 代的要素の1つと位世づけてよいかもしれない。

 次は,夫婦の歌われ方である。

 奄美大島のシマウタ,共通歌詞

 なくぁと わくぁと
 とじうと めおとなし
 ぶぎんしゃ なりゅんときや
 ぬだり くたり

君が子と 我が子と
妻夫 夫婦となし
分限者に なったときには
飲んだり 食ったりしよう

*47

 沖永良部,与論島のシマウタより

 とじかみり かみり

妻と頂き 頂きするなら

 てんちゅとじ かめり
 うとかみり かみり
 はるしぁ かみり
 

手先器用な妻を頂こう
夫を頂き頂きするなら
畑仕事の達者な人を頂こう

*48

 妻,夫を別々に歌った歌詞は少なくないが,1首のなかに夫婦を歌ったものは,予想に反して 探すのが難しい。しかしこの2首で妻の優先は明白である。

 トジとウトという言葉ではないが,奄美には主人と奥方を尊敬の意味を込めて「ソシラレ」「ア ミサレ」という時代があった。それも歌では,次のように歌われている。

 奄美大島のシマウタより

 あみしゃれが ういや
 おさかづき まゆり
 そしられが ういや
 おやく まゆり
 

奥方の 上には
盃が舞っている
ご主人の上には
お役が舞っている

*49br;

 明らかに厳かな場で歌われたに違いない祝いの歌詞である。やはりここでも妻の方が先にきて いることは,女性優位が深く人々の意識の底に流れていたことを教えてくれよう。

 それと,八月踊りや,餅貰いといった行事には,その家の主人よりは奥方に呼びかけている歌 の方が断然多い。

 奄美大島の八月踊りの歌より

 とのち あみしゃれや
 かふなまり やすが
 よれぐらや め−なし
 とこや くしゃて

殿地(屋敷)の奥方は
果報な生まれを なさっていますが
米倉を前にして
床の間を腰に当てている

*50

 徳之島の餅貰い歌より

 あんざれが もちや
 あおかばさ うまさ
 うりが うんのといや
 おどて みしょら

奥方の餅は
青く香ばしくて 美味い
それの 恩返しに
踊って みましょう

*51

 これも明らかに女性優位傾向を物語っていよう。

 残るのは,ウナリとエケリだが,ウナリはウナリ神信仰も含めて多く出てくるのに比べ,エケ リという言葉自体がほとんど出てこないのである。少ない1つをあげてみる。

 徳之島のシマウタより

 ういと わんてんな うない いーり
 ねんぐるぐゎや あらぬ

 きむかなしゃ しゅんち
 ねんぐるいさた しゅんち

君と 私とは ウナイと イーリ
ねんごろ(愛人)グヮでは ない

心愛し気に するので
ねんごろの沙汰(噂)が 立つよ

*52

 ここで,お互いどうし実のきょうだいともとれるが,採集者の共通語訳に従えば,「妹と兄の ような仲なのに」となる。しかし,奄美各地には,兄と妹が間違って結ばれるという話があり, あるいはこの歌はその話を下敷きにしたものかもしれない。

 以上,父母,夫婦,きょうだいが,歌のなかでどう扱われているかをみてきたが,ここでも女 性優位であることは歴然となった。&br

5)恋愛と婚姻を歌った歌詞

 恋愛と婚姻も性差,性意識がきわめて表出されやすい部分だといえる。はたしてそれを歌った 歌詞も豊富にあり,ジェンダーを考える資料には事欠かない。

 奄美の古い婚姻形態を考えると,むろん地域,時代,階層などにより,かなりの差違があるが,1 つのモデルを示すと,おおむね自由に近い男女交際の期間があって,やがてクチムスビ(口結び) といった実質的な結婚生活に入ったようである。しかし,この期間は男が夜間,女の元に通うと いう,いわば通い婚の形をとった。しかし,歌のなかに逢い引きが出てくるときは,クチムスビ 以前なのか,以後なのかははっきりしない場合が多い。正式な結婚というより,恋愛時代の余韻 を多く残していたに迎いないからである。

 これは,我が国古典文学などにみる妻問いの習慣とそう変わらないと思う。古語の「まぐわう」 「よばう」は婚姻の意味にとられているが,実際には,男性が女性の元に偲んでいった一夜の同 衾をそう呼んでいるようである。戸籍などのない昔,今でいう結婚の前後の境目は,それほどはっ きりしてはいなかったと思われる。

 奄美に話を戻して,今の結婚式に当たるものがないわけではなかった。通い婚を続け,やがて 子供も産まれるころ,「ヤータチイワイ(家立ち祝い)」が行われることがあった。これ以後,夫 婦が独立して家を持つということで,ヤータチの「立つ」を「娘が実家を立っていく」と解する こともできるが,やはり新たな家を盛り立てていくというのが真意であろう。

 ここで,奄美民謡の歌詞を恋愛時代を歌ったものから順次掲げて,ジェンダーの問題を考えて みよう。

a.恋愛時代を歌ったもの

 先ず,男女は恋愛の対象としてどんな相手を好ましいと考えていたのだろうか。

 徳之島の田植え歌より

 うまれ いにかなし
 かまかけて みぶしゃ
 じゅはち きょらめれに

実る 稲ガナシに
鎌を掛けて みたい
十八の きれいな娘に

 てかけ みぶしゃ

手を掛けてみたい

*53

 いうまでもなく,男性側の歌である。先ず18歳という具体的な年令が出ている。ほかにも,若 さをいう言葉として「十七,八」というのがよく出てくるが,男女ともそのころから恋愛を始め るというのが一般的だったのだろう。

 奄美,沖縄に広く伝わる「あぶし(畦)越えの水」という歌の打ち出しは,

 徳之島の踊り歌の場合

 あぶしくぇの みじや
 うやげれば とまる
 わきゃはたちの ころや
 とめや ならぬ

畦越えの 水は
畦の土を押し上げれば 止まる
我が二十歳 頃は
思いを止めようと 止めはならない

*54

というものである。20歳を真っ盛りの時期と意識していたことが分かる。

 男性が,きれいな容貌と魅力的な肉体を持った女性を得たいという気持ちは何処も変わらない と思うが,その美意織が窺えるいくつかの歌詞をあげてみる。

 奄美のシマウタより

 ましる しらはまに
 おどりしゅる めらべ
 いるやしるじると
 まくる かしら

真っ白な 白浜に
踊っている 娘
色は 白じろと
真っ黒な 頭

*55

 奄美のシマウタより

 としのみそ かかて
 なきやゃふらそ したが
 なきゃふらす めまよ
 むたぬ しぬき

年の三年 かかって
あなたを私に惚れらそうと したが
あなたを惚れらす 目眉を
持たないのが 辛気

*56

 奄美大島の八月踊りの歌より

 腕あげれ あげれ
 あやはずき うがも
 むねあけれ あけれ
 たまぢ うがも

腕を上げろ 上げる
綾のようなきれいなは針突(入墨)を見よう
胸を開けろ 開けろ
玉のような乳を 見よう

*57

 徳之島のシマウタより

 きょらうまれ めれぐゎ
 がまく やしきれて

きれいな生まれをした 娘グヮは
腰が 痩せていて

 ゆすのむじょ やてむ
 わゆくし ぶさい
 

例え他人の恋人で あっても
私は誘惑を したい

*58

 「色白であること」「髪は黒いこと」「目眉がきれいなこと」「玉のような乳房を持っていること」。 これらは今の平均的な日本の男性が抱く美人像とそう遠いとはいえない。ただ,入墨は,女性が つい近年まで両手の甲にしていたもので,信仰的な意味もあって,それにかける執着は大変なも のであった。男性も,それを美しいものとして見ていたことが分かる。

 問題にしたいのは,豊かな腰ではなく,痩せた腰を好んだという文句である。これも,日本人 がかつて好んだタイプと一致するものであるが,大よりも小,完成されたものより未完成なもの, 強いものより弱いものに美しさを感じ,それを女性に求める風は,奄美でも同じだったようであ る。次にあげる2首などもそのことを教えてくれる。

 奄美大島のシマウタより

 みあげれば きょらさ
 わかまつの こえだ
 またも みあげれば
 わたま こがれ
 

見上げれば きれい
若松の小枝
またも 見上げてみれば
我が玉のような 黄金(恋人のこと)

*59

 奄美大島のシマウタより

 をなぐみの あわれ
 いとやなぎ ぐくる
 かぜの おすままに
 なぴち いきゅり

女子の身の 哀れ
糸柳の ように
風の 押すままに
靡いて 行った

*60

 少し補うと,1首目は恋人を「きれいな若松の小枝」に轡えたのである。
 また,2首目の「あわれ」という言葉は,ここに当てたように「哀れ」な意味にも,「愛しい」 意味に両用に使われているということである。このほか,奄美方言の「かなし」という言葉が, 「愛しい」意味に傾きながらも,「悲しい」という意味も含めていること,おなじように「きむ ちゃげさ」が,「肝(心)を小さくした」という語源で,「可哀相」「可愛い」という2つの意味 を持つことなどから考えて,小さき者に愛しさを思う感覚は,奄美にも抜き難く存在していると 考えられる。

 男性が望む女性のタイプは明らかになったが,女性はどんな男性を望んだのだろうか。このこ とを歌った歌の文句は,意外なほど少ない。

 奄美大島のシマウタより

 いんが ちきらば
 こころから ちきれ
 くちさきに ふれて
 わみば おとそ

男との 縁を付けるなら
心から 付けよ
相手の口先に 惚れては
我が身を 落とす

*61

 採集者,恵原義盛氏は解しがたい歌詞だとしながらも,「いんが」を「男」の意味にとられた。 本稿も,これに習って訳を付けたが,あるいは,この「いんが」は「縁」に接尾語の「ぐゎ」が 付いたものかもしれない。そうすれば,男女に関わらず一般的な恋の教訓歌となるわけであるが, どちらにしても,抽象的な事柄であって,男性が女性に望んだような具体的な容貌や体格などは 歌われなかったのだと思う。

 ときに,徳之島のシマウタ「あむろの慢女節」で歌われる。

 ほんさき さきから
 ぬりまの とびゃとびゃきゅしが
 いるじるさや きみのぶしゅた
 きょらさや まぐみのぎざんしゅ
 

本崎(地名)の 先から
乗り馬が 飛び飛び来るが
色の白いのは キミノプ主
きれいなのは 其米のようなギサン主

*62

のような歌詞もあるが,これは世間で評判の2人の美男を歌ったものであり,特殊例と見なすべ きだろう。

 男が望む女性像だけがいろいろと歌われ,女性の好みが歌われなかったのは,けっきよく前項 で述べた,男にとって娘は押し頂く存在であった,ということに落ち着くのではないだろうか。 頂くがためには,その美点をあげつらう必要があるのに対して,反対の女の立場からは,その必 要はそれほどなかったのではないか,ということである。

 もう1つ,相手を選ぶときに,結婚以前の貞節をどれほど重視したかという問題が残る。重要 な問題でありながら,近代になってからと比較して,そう重視されなかっただろう,という推定 しかできない状況なのだが,こんな歌詞が残っている。

 沖永良部,与論島のシマウタより

 あらばちと うむて
 さばつくて くりて
 にどばちど あゆる
 わさば やらち

処女だと 思って
草履を作って くれたが
二度目の恋で あるようだ
それでは我が草履を 返しなさい

 好きな人に草履を作って贈るのは男性だったといわれるから,男側の歌である。この「アラバ チ」というのは,「新ら初」のこと,「ニドバチ」は「二度初」のことで,「処女」「二度目の恋」 と訳したのは,この歌詞の採集者,久保けんお氏の訳に習ったためである。かかる意識がどれほ ど一般的だったのかは分からないが,貞節を求めた度合いが,女性よりも男性の方が強かったこ とは,近代の日本とそれほど変わらないと思う。

 さて,好きな人ができると,次は求愛行動となる。かつてその主たる場が歌遊びだったともい える。今日,求愛に相応しい歌詞が山ほど残っている理由も,そこにあったといわなければなら ない。
 これまで引用した歌詞のなかにも,相当数,求愛の歌が含まれていたと思うが,改めて別の歌 詞を数首あげてみる。

 徳之島のシマウタより

 うめんなうめんな いちゃんてん
 わがうまじ うかゆみ
 うめや まきゆしが
 わしや ならんど

思うな思うなと いっても
私は思わずに おかれようか
思いが 優るので
忘れが 成らないのだ

*63

 沖永良部,与論島のシマウタより

 うむてくぃる やれば
 なまうもて たぼり
 としゆてぬ すらに
 うむて すすが

思ってくれるので あれば
今思って 給われ
年が寄っての 末に
思ってくれても どうするのか

*64

 奄美のシマウタ「曲がりょ高頂節」の打ち出しの歌詞

 まがりょ たかちぢに
 ちょうちんぐゎ とぼち
 うれが あかがりに
 しので いもれ

曲がりくねった 峠の頂上に
提灯グヮを 灯して待っている
それの 明かりを目安に
忍んで いらっしゃい

*65

 同「あさばな節」より

 かなしゃんちゅや
 にわとり たまど
 わぬや うやどりなて
 しかまんよね うさとりぶしゃぬ

愛しい人は
鶏と 卵のようなもの
私は 親鶏になって
朝夜 抱いていたい

*66

 自分の思いを,そのまま吐露した形のもの,「提灯」にかこつけて相手を誘うもの,そうあり たい状態を比愉で訴えたもの,と表現方法はいろいろだが,相手を我が者としたいという気持ち は同じである。これらが,それぞれ男から女に歌い掛けられたものか,あるいは女から男に歌い 掛けられたものか,ということは難しい問いである。

 3首目を理屈からいえば,忍んで行くのは多く男であるから,女の歌だといえるし,4首目に ついては,卵を抱くのは雌の鶏だから,これも女の歌かも知れないと考えられる。しかし,実際 の歌掛けにおいては,理屈はあまり重要ではない。そのときの思いにぴったりするものがあれば, 性を越えてこんな文句で歌われるといってよさそうである。

 ただ,1の(1)の項で述べたように,積極的に歌で挑んでいくのは男性側で,女性はそれを 受ける側に立ちがちであるということは,いっておいてよいだろう。
 これに歌いかけられた側が承諾する場合は,例えば前掲「あさばな節」の,「かなしやんちゅ や〜」に対して,

 かなきんちゅや ちゅりちゅり
 しまじゅう ななまぎりに
 かなしゃんちゅや ちゅりちゅり

愛しい人は あなた一人よ一人
島中 七間切り(昔の行政区画)で
愛しい人は あなた一人よ一人

*67

と歌えば立派な答えである。
 もし拒否したいのならば,次の歌詞が相応しいかもしれない。

 たまごえんや むすぶなよ
 たまごえん むしべば
 はねのめて とびゃがりゆり

卵のような縁は 結ぶなよ
卵縁を 結べば
羽が生えて 飛び上がって行ってしまう

*68

 相手の不誠実をなじるような歌詞だが,相手に魅力がないことを直接的に歌うよりは,世間は こんなものだと逃げることのできる,重宝な歌詞だともいえる。

 沖永良部の人からの聞き取りによると,歌遊びにおいて女性が,男性をあからさまに拒否する と,悪い評判がたって,その後は遊びに加えてもらえなくなったものだという。そこで,どうし ても拒否しなければならないときは,次のような歌詞を歌った。

しちまちょり まちょり
こいのしち まちょり
こいのしち まちょて
としど ゆゆる

節(機会)を 待って待って
恋の節を 待って
恋の節を 待つうちに
お互い年が 寄ってしまう

*69

それに,また男性側は次のようにあきらめの文句を歌うこともあった。

 ねむちなぁ むんや
 みちばたの くいし
 みちの いきかいに
 じゃまど なゆる

値打ちのない 者は
道ばたの 小石
道の 行き交いに
邪魔に なりますね

*70

 ここで好き合った2人は,次に逢い引きを重ねることになる。かつては,多く男性が女性のも とに忍んでいくという形がとられた。クチムスビなどによって,世間に認められるような婚姻が 成立した後も,妻問いが行われていた時期があるので,忍びは継続することになる。歌の文句か らは,どの時期の忍びかは判別できないが,どちらにしてもおびただしい数の忍びと,それを待 つ歌が存在する。

 徳之島のシマウタより

 ちんごみじ たみて
 やどはしり ぬらち

チンゴ水を 溜めて
戸走り(敷き居)を 濡らし

 かなが もゆるときや
 やどの やしく

加那(恋人)が いらっしゃる夜は
屋戸が 易く開くよ

*71

「チンゴ水」というのは,芭蕉糸を紡ぐさい原料をポールのようなものに浸しておいた,その 水のことである。ヌルヌルしていて敷き居に塗ると,音を立てずに開いたようである。恋人同士 が逢い引きすることを世間はおろか,親兄弟にまで気をつかったことは,日本の古代も全く変わ らない。それに対する私の考えを一口でいうなら,男女の同衾は子供をもうけるための聖なる秘 儀であるという観念を引きずっている,ということである。したがって,例えクチムスビなどを 行って,世間が2人の仲を認めた後も,できるだけ人に知られないように逢い引きすることが必 要だったのだと思う。

 前掲,奄美大島のシマウタ「曲がりょ高頂節」の「まがりょたかちじに〜」の返しの文句に 次のようなのがある。

 うれが あかがりに
 しのやに しれば
 よそのめの うこさ
 ぐちの しぎさ

それの 明かりに
忍んでいこうと すれば
余所の目の 多いこと
ロの うるさいこと

*72

 この歌詞自体は,相手の求愛を椀曲的に断るために多く歌われたと思うが,内容は噂を恐れた 歌である。噂も言霊であったというのは,万葉など古代歌謡の研究の立場から古橋信孝氏が強調 していることであるが,奄美でもこのことは顕著だといえる。噂を恐れる歌は,探せばもっとで てこよう。

 そして,多いのは,恋人が忍んで来るのをひたすら待つ歌,逢瀬の短いことを嘆く歌,果たし て来るのかどうかを案ずる歌,もう来ないだろうと諦める歌,しばらく忍んで来なくなった恋人 をなじる歌,などなどである。

 沖永良部,与論のシマウタより

 かより かより
 いくよむ かより
 かゆて まきゆしが
 うみの まさり

通って 通って
いく夜も 通って下さい
通って 優るのが
思いの 優り

*73

 奄美大島のシマウタ「側屋戸節」の打ち出しの歌詞

 すぱやどば あけて
 かなまちゅうる ゆるや
 ゆあらしや しげく
 かなや めらぬ

側の家の戸を 開けて
加那を待つ 夜は
夜嵐が ひどく
加那は 見えない

*74

 徳之島のシマウタ「ちゅつきやり節」より

 よねや うがみんしょら
 ゆぴぬが いもらんたな
 あめのふて かさぐわのささらんじ
 ゆべ いきやんたど

今宵は よくお会いしましたが
夕べはなぜ いらっしゃらなかったの
雨が降って 傘が差されずに
夕べは行かなかったよ

*75

 奄美大島のシマウタ「あさぱな節」の歌詞より

 かよいたる やんこしみちくゎ
 かよいうし ぬければ
 ぬりのめて くさのめて

よく通ってきた 家の後ろの道クワ
通うのを 抜けたら
海苔(苔)が生え草が生えた

*76

 これらをみてみると,女性側の歌が多いようにも思われるが,「ちゅっきゃり節」の下の句は 男側の返事になっており,1首目,4首目の歌詞も解釈の仕方では,男側の歌になりうる。また, 次の歌のように純然と男が女に,忍んでいくのを待っていなさい,という歌もあるのである。

 奄美大島のシマウタより

 ねじきとぅてぃ まつれ
 まくらとぅてぃ まつれ
 ゆなか かぜちれて
 しので きゃおろ
 

寝敷き(床)をとって 待ちなさい
枕をとって 待ちなさい
夜中に 風を連れて
忍んで来よう

*77

 我が国古代の妻問いも,男性が複数の女性と関係を持つ例が少なくなかったといわれているが, 南島の場合も同じであったろう。しかし,歌の文句からみる限りは両者は対等な立場である。

b、婚姻に関する歌
[#w13fb11e]

 いよいよ,婚姻の段階に入る。本来,奄美の庶民の婚姻は村内婚が原則で,ヨソジマ(余所集 落)の人との結婚は嫌うところもあったようである。しかし,時代の変化で,だんだん通婚圏も 広くなってきたことは事実である。次の文句は,余所の集落から仲人が,嫁貰いに(あるいは物 色しに)やって来た様を面白く歌ったものである。

 奄美大島のシマウタ「こうき節」より

 あっからきゅん ふねくゎ
 わんもれの ふねくゎ
 わんかくれ とれば
 をぅらんちいぇよ どしんきゃ
 

あちらから来る 舟クヮは
私を貰いに来た 舟クヮだろう
私は隠れて おれば
居ないといえよ 友だちよ

*78

 実際は,夫となる男性本人が来るのではなく,「ナハシチュ」などと呼ばれる仲人が来るので ある。嫁にくれるかどうかの返事も,すぐにするわけではなかった。3合瓶に焼酎を入れたのを 持ってそれを娘の家においておくのだが,後日来たときにその酒がなくなった瓶を返されれば承 諾のサインで,持ってきたままの酒が入っていれば断りの印だったという。親の見栄のようなも のもあって,すぐには承諾されず,仲人が何度も足を運んでやっと決まる場合も少なくなかった そうである。

 先にも記したクチムスビは,実質的な婚姻の始まりといえるが,そう盛大に行われる儀礼では なかった。それに,夫や夫側の親が参加するのでもなく,仲人と娘の親との取り交わしであるこ とが多かったようである。クチムスビそのものを歌った歌は,私はまだ見つけていない。
いよいよ行われる本当の結婚式が,「ヤータチイワイ」とか,「ニビキイワイ(根引き祝い)」 といわれたものである。

 奄美の一部の地域には,婚礼の夜,嫁が逃げる風習があり,婿に追いかけられた嫁は松にしが みついたという。このとき,婿が松の根っこごと引き抜くという気持ちから,「根引き」という ようになったという伝承があるが,おそらくそれは付会の説であろう。お互いの家系の根を引く ということだろうと思う。

 この結婚式には,歌が多く出た。出たというより,結婚式全てを歌で取り仕切ったと思われる くらいに,婿方が歌う歌詞,嫁方が歌う歌詞,仲人が歌う歌詞,招かれた客が歌う歌詞が,今も なお豊富に記録されているのである。

 それらの歌詞のジェンダーに関わる特徴をいうなら,嫁の賛美,嫁を貰ってこの家が栄える, 娘をこの家にまかせる,という文句は多くありながら,婿だけを歌った歌詞は皆無に等しいとい うことである。

 奄美大島の結婚祝い歌より

 うやふたり なかに
 つぼでぃおる はなの
 きゅうの よかるひに
 さきゅり ぎょらさ

 きゅうの よかろひに
 おむぇぐわ もれうけて
 にゃまより こぅのさきや
 うゆえ ばかり

 むんしらぬ わらぶぃ
 わがちれてぃ きゃおた
 なまら くぅんさきや
 なきゃを たのも

親二人の 中に
菅んでいた はなの
今日の 良い日に
咲いた 美しさ

今日の 良い日に
思い子を 貰い受けて
今から この先は
お祝い ばかり

ものを知らない 童(子供)を
私は連れて 来ました
今から この先は
あなた方を 頼みにしましょう

*79

 あくまで男側が,嫁を押し頂くという観念が,ここにも如実に表れているとしかいいようがない。
 ついでだが,村外結婚がかなり出てきて,次のような歌が歌われるようになったことも注目し ておきたい。

 奄美のシマウタ「あさばな節」より

 しまやねんど をぅとぅがしま
 あわれ をぅなぐのくゎや
 しまやねんど をぅとぅがしま
 

シマ(故郷)はないよ 夫シマ
哀れ 女子の身は
シマはないよ夫のシマ

*80

 訳を少々補うと,「嫁には自分のシマ(故郷)はない。夫のシマこそ自分のシマだ」というの である。私には,通婚圏も広くなり,婚姻も本土の影響を受けるうちに,いつしか生まれた歌詞 だと思う。
 参考までに,ヨソジマの人や,ヤマト(本土)の人との縁を嫌った歌詞があるのであげておく。 同上歌より

 たしまえん むしぶなよ
 たしまえん むしべば
 うとぅさんなだ うとぅすんど
 

他シマ縁は 結ぶなよ
他シマ縁結べば
落とさなくともよい涙を落とすよ

*81

 人情が遮うということもあったのだろうが,家族同士の付き合いが桁外れに煩雑になって,経 済的にも大変だったということを聞く。

 同上歌より

 やまとのちゅとぅ えんむしぶなよ
 ふんぶ まきあげれば
 しかちめさきや ねんどねんど

本土の人と 縁を結ぶなよ
船の本帆が 巻き上がれば
捕まえ先は ないよないよ

*82

 概して,ヤマトの人は島を出るとき島の女は捨ててしまうという思いがあったのかも知れない。 前にも少し触れたが,島妻がまさにそうであったのである。

 最後に,夫婦間の不倫と離婚についてみておこう。

夫が他の女に思いを掛けたり,妻が夫を捨てることについての罪意識は,歌からみる限り,現 在の日本の大勢とそう変わらないといってよい。男性には甘く,女性には厳しいのである。

 奄美大島のシマウタより

 りんきしゅる をなぐ
 なちはぷら ごころ
 ともしぴば うばて
 わがみ とりゅり

悋気する 女御
夏の蝶の 心(ようなもの)
灯火に 身を投げて
我が身の命を とられる

*83

つまりは,嫉妬もほどほどにしなさいという女性向けの教訓歌である。
 さらには,男が妻を選ぶか,愛人を選ぶかという,次のような歌詞さえあって,甘やかされて いた男性のイメージが明らかになるのである。

 奄美大島のシマウタより

 とじと ねんぐるや
 うどる かなしゃんか
 とじや うやぐくる
 ねんぐるや かなしゃ

妻と ねんごろ(愛人)は
いずれが 愛しいか
妻は 親の心(ようなもの)
ねんごろが 愛しい

*84

この歌の席に都合の悪い人がいたりすると,こんなのも歌った。

 とじと ねんぐると
 ぬかなしゃ あてむ
 あとのくと えくと
 とじど かなしゃ

妻と ねんごろと
どんなに愛しく あっても
後のこと 思うと
妻が 愛しい

*85

 こんな歌の文句の存在すること自体が,男性の甘えの極みだといわれても仕方ない。  これに対して,女性自身が不倫をすることについては,

 徳之島のシマウタ「三京のくし」より

 みきょのくし なんぎょうなん
 にぎゃみじの あてんど
 うとふるんで うなぐ
 うりし あめざ
 

三京山の後の ナンギョウ(地名)に
苦い水が あるという
夫振る 女御は
それに 浴びさそう

*86

のような厳しい罰を歌う歌詞が残っている。また,こんな文句もある。

 奄美大島のシマウタ「花染め節」より

 わらべとじ かめて
 きもゆるし うぐな
 よかりまの てじな
 ゆるし うぐな
 

幼妻を 貰って
肝(心)許しを するな
良い馬の 手綱も
ゆるめて おくな

*87

 馬の手綱に轡え,妻の行状に油断するなという教訓歌である。男性に向かっての,厳しい戒め の文句は,今のところ見当たらない。

 奄美にも離婚のようなものがあったことは歌からもわかる。「夫を捨てる」「妻を捨てる」とい う言葉で出ているのがそれだが,次のような歌詞である。

 沖永良部,与論島のシマウタより

 うらむ うとしてり
 わむむ とじしてら
 たげに ふりしてて
 わてど ちゅみち
 

お前も 夫を捨てれ
私も 妻を捨てよう
互いに 振り捨てて
我ら 一道

*88

 同上

 してとじと うむて
 してくとぱ するな
 あらいのはな みより
 あとむどて さちゅさ
 

捨て妻と 思って
捨て言葉を するな
葵の花を 見なさい
後戻りをして 咲くよ

*89

 最初の歌詞は,お互いの今の妻や夫を捨てて,自分らは一緒になろうという。後のは,葵の花 の特性を譬えにして,男側が,復縁することもあるかもしれないから,別れた妻に捨て科白をは いてはいけないと教えている。この2首をみる限りは,どちらが優位だということはないが,妻 が夫を捨てることは,夫を振ることには違いないのであり,世間的には厳しい目があったと思わ れる。

 以上、恋愛段階から結婚生活まで,男女の力関係をたどってみたが,男性が女性を力を持った 聖なる存在と認めながらも,実質は男性の甘えが顕著に表れていることが明らかになった。

4.まとめ

 2章8項にわたって,奄美民謡とジェンダーの問題を考えてきた。地域,時代などを特定せず に(ある意味では都合のよいように)扱ったために,方法論的に問題を残したかもしれない,と いう反省はある。このことは,民俗学の限界,ないし決定的な弱点としてよくいわれてきたこと である。私のやっている歌謡研究は必ずしも民俗学と同じものではないが,はからずしも同じよ うなジレンマを感じるところとなった。しかし,奄美がウナリ神信仰を根っこに持つ女性優位の 地域であることは,一応実証しえたのではあるまいか。

 私個人としては,ジェンダー論は,小さなエッセイでは書いたことがあるが論文では初めてで あった。やはり,今最も関心があるのが,日本全体の伝統的世界が,文化的,精神的には女性上 位といわれながら,実質は男性の甘えではないかという指摘である。この点,本稿ではただいく つかの例をあげただけで,深い洞察を行っていない。次の課題として,考えていきたいと思うも のである。

 本稿に見当違いな点が諸処あるかもしれないが,奄美民謡についてジェンダーに関連する資料 群だけは,提示することができたと思っている。

(執筆者は本研究所所長、本学教授)

*1 1.婚姻,育児,生業,信仰などで男女の役割について触れた論文,報告は数多くあるが,ジェンダー論に 絞ったものでは比嘉政夫箸「女性原理と男系原理」(1987 凱風社)などが知られる。
*2 小川学夫署「奄美民謡誌」(1979 法政出版局)序「奄美民謡の採集と資料化」で民謡の定義をしている。
*3 小川学夫「奄美(大島・喜界島・徳之島)における八月踊り系歌舞の比較」(1991〈鹿児島純心女子短期 大学研究紀要21号〉所収)にて八月踊りの全体像を述べた。中原ゆかり箸「奄美の「シマの歌」」に奄美大 島佐仁地区の詳細な報告,麓考がある。
*4 本田安次著「奄美の旅」(1964 民俗藝能の會)の「奄美の信仰と藝能」の章。
*5 酒井正子署「奄美歌掛けのディアローグあそび.ウワサ・死」(1996 第一書房)鵯 1「集団の掛け合 い歌の世界」に報告されている。徳之島在住の研究家,松山光秀氏はこれを男性を守護する女性とみてい る。(談)
*6 昇曙夢著「大奄美史」(1949 奄美社)第四篇十三「八月廟と八月歌」の項など。
*7 日本放送協会繕「日本民謡大観(沖縄奄美)奄美諸島篇」(1993 日本放送出版協会)168頁に徳之島 目手久と犬田布にその例があると記されている。
*8 内田るり子箸「奄美民謡とその周辺」(1983 雄山闇出版)の「徳之島の田植え歌の音楽的性格につい て」など参照。
*9 註5の著書 Iの3「〈田植歌〉における三系統一歌の流通と様式」
*10 註2の著書 145-147頁
*11 註2の著書 142-145頁
*12 註9の著書 66頁
*13 註7の著書では,「座興歌・遊び歌」という分類項目をたてている。
*14 「沖縄大百科事典」(上,中,下3冊1983 沖縄タイムス社)の「サンシン(三味線)」の項など。
*15 かつて著名な歌い手,福島幸義氏(故人)が,裏声は逃げ声だとよくいっていたことによる。
*16 註2の著書 133頁
*17 小川学夫署「歌謡(うた)の民俗奄美の歌掛け」(1989 雄山闇出版)163-164頁など
*18 田畑英勝署「全国昔話資料集成15 奄美大島昔話集」(1975 岩崎美術社)の35「難題婿」(69頁)など,奄美にもこの話型の昔話は多い。
*19 註2の著書 第二章第二節「詞型について」など参照。
*20 註2の著書 序「奄美民謡の採集と資料化」の「曲名の確認」の項参照。
*21 註2の著書 161頁
*22 註2の箸番 91頁
*23 伊波普猷署「をなり神の島」(1938樂浪轡院)など参照。
*24 註14の事典「聞得大君」の項など。
*25 註2の著書 15頁
*26 恵原義盛著「奄美の島唄定型琉歌集」(1987海風社)14頁
*27 話は,「日本昔話通観 26/沖縄」(1983 同朋舎出版)407-9頁など。轤祖との繋がりにふれたものは,註14の事典,「オナリ神」(植松明石執簸)などがある。
*28 恵原義盛著「奄美の島唄歌詞集」(1988海風社)302頁
*29 註9の著書 60頁
*30 註37の著書 84頁
*31 シンポジウム「民俗社会における女性像」(1994〈日本民俗学198号〉所収)のような論繊の場が次第に 持たれるようになってきた。
*32 註37の著書 61頁
*33 註29の著書 267頁
*34 恵原義盛「奄美の創世神話など」(〈月刊青い海>1976.8所収)110頁
*35 註29の著書 268頁
*36 外間守善編「日本庶民資料集成第19巻南島古謡」(1971 三一書房)の「奄美諸島八月踊り歌」お よび「三味歌」の項(いずれも久保けんお執筆),103頁
*37 註29の著書 202頁
*38 同前218頁
*39 註2の著書 71頁
*40 喜界島の郷土研究家,三井喜禎氏(故人)からの聞き取り
*41 金久正「天降り天人」(1935〈旅と伝説〉所収,後に同氏署「奄美に生きる日本古代文化」などに再掲) を参考。
*42 註37の著書 36頁
*43 註2の著書 176頁
*44 註37の著書 465頁
*45 同前 458頁
*46 註29の著書 125頁
*47 註37の著書 105頁
*48 同前 150頁
*49 註27の著書 48頁
*50 註2の著書39頁
*51 註37の著書67頁
*52 同前 125頁 なお,シマウタというより,徳之島の伝説に「だんと うとぅわたるしまじりの くらご をぅなりいひり しらぬ あわれ くらご」(なんと 噂の知れ渡っている 暗河 兄妹が 分からなく なるくらいの 哀れな 暗河)という「うなり・いひり」の歌がでてくる。話は,小島(地名)の暗河で 間違って兄妹が結ばれてしまうというもの。田畑英勝著「徳之島の昔話」(1972 自家版)329-330頁参照
*53 同前 59頁
*54 註2の著書 310頁
*55 註27の著書 341頁
*56 同前 266頁
*57 註37の著書 32頁
*58 同前 124頁
*59 註27の著書 345頁
*60 同前 417頁
*61 註27の著書 77頁
*62 註2の著書 176頁
*63 註37の著書 121頁
*64 同前 142頁
*65 註29の著書 346頁
*66 註2の著書 84頁
*67 註37の著書 113頁
*68 註29の著書 76頁
*69 註18の著書 177頁 なお,沖永良部での聞き書きを報告した。
*70 同前 177頁
*71 註37の著書 123頁
*72 註29の著書 346頁
*73 註37の著書 143頁
*74 註2の著書 89頁
*75 註37の著書 138頁
*76 *論文原本に記載なし。
*77 78. 註27の著書 304頁
*78 註29の著書 243頁
*79 田畑英勝,亀井勝信,外聞守善編「南島歌謡大成5奄美篇」(1979 角川書店)445頁
*80 註29の著書 74頁
*81 同前 75頁
*82 同前 73頁
*83 註27の著書 394頁
*84 註37の著書 150頁
*85 同前 150頁
*86 註2の著書 13頁
*87 註29の著書 281頁
*88 註37の著書 143頁
*89 同前 147頁
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