鹿児島純心女子短期大学研究紀要第 37号,91-1072007

奄美民謡「諸鈍長浜節」の系譜 小川学夫
The Genealogy of 'Syodonnagahama-busi', an Amami Aria Folk Song
Hisao Ogawa

 奄美諸島に「諸鈍長浜節」という加計呂間島諸鈍集落の長浜や乙女を歌った歌が流布する。 諸鈍はかつて琉球文物の流入口として栄えた土地であるが、実は沖縄にも「諸屯節」「しゅん どう節」といった諸鈍を歌った歌が知られている。当然、これらは同系曲であると考えるのが 自然であるが、各曲の印象があまりにも違うために、もともとひとつの歌と断定する決め手は なかった。そこで本論では、それぞれの歌の歌詞やハヤシコトバなどを比較することにより、 その系譜探索の試みを行った。その結果「諸鈍長浜節」「諸屯節」は明らかに同系曲であり、 「しゅんどう節」は歌詞だけのつながりであることが明白となったのである。なお、「諸鈍長 浜節」系統の曲が奄美各地では、ジャンル(遊び歌、八月歌)を越えて歌われ、なおかつ全く 曲名や歌詞を変えて各地で歌われていることもはっきりした。このたび、それらの根拠をしめ しながら伝承の実態を提示した。

Keywords:[諸鈍長浜節][諸屯節][奄美民謡][琉球古典音楽]
      [琉歌百控]

(Received September 15, 2006)

[目次]


はじめに

 奄美民謡に「諸鈍長浜節」という歌があることを知ったのは、岩波文庫の「日本民謡集」*1 であった。奄美の民謡として扱われているのは、この歌と「朝花節」「俊良節」「くるだんど節」 の4曲である。私事ではあるが、1963年にはじめて奄美の旅を企て、調査地として加計呂麻島 の諸鈍集落を選んだ理由のひとつは「諸鈍長浜節」が印象に残っていたためである。瀬戸内町 の古仁屋からボンボン船で先ず生間集落に渡り、そこから峠越えをして諸鈍に行く。その峠を 登りきったところから見る諸鈍の長い浜は、正に歌の文句のように、その白波で娘さんが笑っ たときの歯並びのように見えた。その感激は今でも鮮明に思い出す。諸鈍集落に入って、古老 から話を聞くうちに、諸鈍が昔、琉球文物の流入口として重要な土地であることも実感した。 以来、この曲については私もいろいろなところで扱ってきたことは事実である。しかし、こ の曲のしっかりした系譜を確認する作業はまだであった。まだ不明な点もあるにはあるのだが、 現段階で分かったことを書き記しておきたい。

 (凡例)歌詞や歌い方の引用については、主に次の著書によったが、[ ]のように略した。 「日本庶民生活史料集成第十九巻南島古謡」[史料集成]*2、「南島歌謡大成奄美篇」 [大成(奄美)]*3、「五線譜琉球古典音楽」[古典]*4)、「日本民謡大観(沖縄奄美)沖 縄諸島篇」[大観(沖縄)]*5、「琉球芸能事典」[事典]*6、「日本民謡大観(奄美沖縄)奄 美諸島篇」[大観(奄美)]*7、「奄美の遊び歌楽譜集日本民謡大観(沖縄奄美)奄美諸島 篇補遺」[大観(奄美補遺)]*8

 実際の詞章引用に当たっては、「琉歌百控」以外は、左にひらがなで歌詞を、カタカナでハ ヤシコトバ、ナゲコトバを記し、右に共通語訳を付した。詞章の記載については、本文の発音 をできるだけ尊重したが、段分けや歌詞とハヤシコトバの区分などについては小川が統一した。 共通語訳は本文に付けられているものもそうでないものもあったが、採集者の見解を尊重しな がら「琉歌百控」も含め全体を小川が付した。各詞章について採集地が判明しているものはそ れを記し、かつ出典を上の略記に従って記した。

1.奄美大島、加計呂麻島の遊び歌「諸鈍長浜節」の特徴

 「諸鈍長浜節」は奄美諸島各地に流布し、遊び歌(しまうた)*9として歌われたり、集団歌 舞、八月踊りの歌*10として歌われている。本稿では、奄美大島と加計呂麻島の遊び歌「諸鈍 長浜節」を出発点として、系譜調べの旅に出ることとする。
 先ず、諸鈍にきわめて近い加計呂麻島諸数集落に伝わってきた「諸鈍長浜節」をみてみるこ とにしたい。奄美大島、加計呂麻島各地の他の「諸鈍長浜節」も、旋律、テンポなどに多少の 異同はあるにせよ、文字化すると次のように歌われる点で、ほぼ一致するといってよいだろう。

 ハレイー
 しゅどうんぬ ながはまに
 うちやげひく なみや
 ヒヤルガフェー
 ハレイー
 しゅどうんぬ みわらぴいぬ
 わらい はぐき
 ウッセ ヒヤルガフェー


諸鈍の 長浜に
打ち上げては引く 波は


諸鈍の 女童(乙女)の
笑ったときの歯茎
*大観(奄美)585頁

 そのほかの採譜資料なども含めて、この歌の特徴をあげると、以下のようになる。

  1.  8886調のいわゆる琉歌調歌詞が歌われること。
  2. 「諸鈍」や「諸鈍長浜」の地名が入った歌詞が歌われる傾向のあること。
  3.  奄美民謡に多い歌詞反復が、この歌にはみられないこと。
  4.  「ハレイー」のハヤシコトバが、上の句、下の句の頭に歌われる傾向のあること。
  5.  「ヒヤルガフェー」に近いハヤシコトバが上の句の後ろにつき、「ウッセ ヒヤルガフェー」のハヤシコトバが下の句それぞれの後につくこと。
  6.  音楽的には上の句、下の句の旋律は異なること。
  7.  遊び歌の楽器は通常、サンシン(三味線)であるが太鼓の加わる地域もあること。
    ここで、①②を補うために、「諸鈍長浜節」で歌われ、かつ「諸鈍」という地名が出てくる 歌詞をあげておこう。

 しょどん ながはまぬ
 いかやながざ あてぃも
 いきゐじ ながはまぬ
 うぃや いきゃぬ


 しょどん ながはまに
 うちゃげぇひく なみや
 しょどん めわらぶぇぬ
 わらい はぐき


 しよどん ながはまや
 やまとがれぃ とよも
 しょどん めわらぶぇや
 しまじゅ とよも


 うらうらぬ ふかさ
 しょどんうらい ふかさ
 しょどん めわらぶぇぬ
 おもいぬ ふかさ


 しょどん めわらぶぇぬ
 いきゃきょらさ あてぃも
 わしま めわらぶぇぬ
 うぃや きらぬ


 しょどん めわらぶぇぬ
 ゆきのろぬ はぐき
 いちが ゆぬくれぃてぃ
 みくち すわな


 しょどん みやらべぬ
 つらみりぱ きょらさ
 ぬぬうらち みれば
   ゆがた ひがた

諸鈍の 長浜の
如何に長さが あっても
池地(地名)の 長浜の
上は いかない
*奄美大島用 大成(奄美)483頁

諸鈍の 長浜に
打ち上げては引く 波は
諸鈍 の女童(娘)の
笑ったときの 歯茎のよう
*同上

諸鈍の 長浜は
大和(本土)まで 名が聞こえる
諸鈍の 女童は
島中に 名が聞こえる
*同上

浦々の 深いのは
諸鈍の浦の 深さ
諸鈍の 女童の
思いの 深さ
*同上

諸鈍の 女童の
如何にきれいで あっても
吾がしま(集落)の 女童の
上は 越えない
*同上

諸鈍の 女童の
雪のろ(意味不詳「雪を塗った」説あり)の歯茎
いつ 夜が暮れて(日が暮れて)
御口を 吸えるか
*同上

諸鈍 女童の
顔見れば きれい
布を織るのを みれば
ゆがんだり ひがんだり
*採集地不詳史料集成99頁

 この「しょどん」を「しゅどん」「しゅどぅみ」「しゅどぅぬ」などといったり、「めわらぶぇ」 「はぐき」も、「みやらぴ」「めわらべ」「はぐち」などといろいろな発音で記載されているが、 それらは方言差、ないし採集者の記載するさいの癖のようなものであり、もとは同じとみなし て間違いないであろう。遺漏はあるかもしれないが、大方は挙げ得たと思う。

 次に奄美の各島各地をみていく前に、沖縄の方に目を転じてみたい。なぜなら、沖縄の古典 音楽*11に「諸屯(しゅどぅん)」といわれる曲があり、昔から「諸鈍長浜節」との関連が取り沙汰されているからである。

2.「琉歌百控」のなかの関連歌

 琉球王朝のなかで18世紀末から19世紀はじめにかけて編纂された琉歌集に「琉歌百控」*12と いうのがある。三流からなっていて、「乾柔節流」には45節(曲)90首、「独節流」には50節、 100首、「覧節流」には51節、102首の琉歌が収載されている。そこに出てくる曲名や歌詞は、 大方が現行の古典音楽のなかにみられるものである。
 この「乾柔節流」に「諸鈍節」という曲名がみえる。これには「東間切之内潮殿村」と付記 されており、この「潮殿村」が今日の諸鈍であることは間違いない。
 この節には、次の2首が記載されている。(原文のままに記す)

 しゆとん宮童の
 雪色の銀
 いつが夜の暮れて
 御口吸わな

 しゆとん長濱に
 打い引波や
 しゆとん宮童の
 目笑齪

共通語訳略


*庶民集成358頁

共通語訳略


*同上

 ここにある「しゆとん」が「諸鈍」であることは疑いをいれないが、いずれにせよ、文字に 頼らない奄美民謡にあって、200年近くもほとんど変わらない形で歌われいるというのは、考 えようによっては奇跡的である。「琉歌百控」を編むに当たって琉球王朝の楽人たちが、この 歌を諸鈍ないし、その近辺の人から聞き取ったことは事実だとしても、後年奄美の人たちが何 らかのかたちで琉球から学んだことも考えられる。
 ところで、この「諸鈍節」と類似の曲名が、「琉歌百控」の「独節流」には「志由殿節」と して(庶民集成381頁)、「覧節流」には「主武堂節」(同369頁)、「潮殿節」(同397頁)として あがってくるが、いずれも歌詞のなかには全く「諸鈍」は出てこない。ただ、「主武堂節」の 場合、2首のうちの1首が、

 我主よる戀や
 干瀬に打小波 
 寄付も思は
 別て行さ

わがする戀は
干瀬に打つ小波に似て
寄り付いたと思うと
すぐ別れていく
*庶民集成395頁

のように、海と波が表現されているという点で、「諸鈍節」に一脈の繋がりが認められるだけ である。いずれにせよ3者とも、曲名に「諸鈍」の名残りはあるものの、歌の文句の中には 「諸鈍」はでてこないということである。
 「琉歌百控」との関連は以上であるが、私たちは、今日に伝わる古典音楽との関係ももちろ ん無視し得ないものである。

3.古典音楽のなかの関連歌

 私は現在、古典音楽の中から、「諸屯節」「しょんだう節」「遊諸屯節」の3曲を「諸鈍長浜 節」となんらかの関連ある歌とみている。そのことを証明するために、代表的歌詞とその歌い 方まで記しておくこととしよう。


「諸屯節」の場合
 代表的歌詞

  まくら ならびたる
  いみぬ つぃりなさや
  ついちゃ いりさがて
  ふゆぬや ふぁん
 

  しゅどぅん みやらぴぬ
  ゆちのろの はぐち
  いつぃか ゆぬくりてぃ
  みくち すわな
 

枕を 並べて過ごす夜も
夢の つれないこと
月も 西に入って
今は冬の 夜半
*古典97頁

共通語訳略(前掲歌詞と同じ)


*同上

 歌い方(歌詞は前のもの)

  まくら な(あ)らぴた(あ)る
  ゆみぬ つぃりなさ(あ)ゆ
  サトゥヌシヨゥ
  ついちや いりざ(あ)が(あ)て
  ふゆぬ やふあん
  アリ サトゥヌシヨ         *古典94-7頁


   2番目の歌詞が、「諸鈍長浜節」と、また「琉歌百控乾柔節流」の「諸鈍節」とも同じも のだということは重要である。
 歌い方いおいては、琉歌調歌詞が繰り返しなしで歌われるということ、上の句、下の句のそ れぞれのあとにハヤシコトバがはいること、上の句、下の句の旋律は異なるという点以外には 「諸鈍長浜節」との共通点はない。しかし、歌詞以外に考えられる両者の確たる繋がりは、次 にあげる「遊諸屯節」によって明らかになるのである。


「遊諸屯節」の場合
 代表的歌詞

  でぃちゃよう うしつぃりてぃ
  ながみやい あすいば
  きゆや なにたちゅる
  じゅぐや でむぬ

  さぁ行こうと 押し連れて
  月を眺めて 遊ぼう
  今日は 名も知れたる
  十五夜 だもの
  *古典355頁

 歌い方(前掲歌詞)

  でぃちゃよう うしつぃりてぃ ハリ
  ながみ ヨゥやい あすぃば ハリ
  ヒヤルガヒ
  きゆや なにたちゅる ハリ
  じゅぐや ヨゥ でむぬ
  アシュンサミ
  ヒヤルガヒ            *古典354-5頁


 曲名につく「遊」の意味を考えてみたい。これがつくのは、古典音楽のなかにも、この曲だ けでなく「遊子持節」「遊しゃうんがない節」などがある。おそらく、この歌詞からも窺える ように、野外での遊びの場で歌われたところから付いたものではないかと思う。「琉球芸能事典」 の「遊び諸鈍節」の解説には「舞踊のために諸鈍節から派生した歌ではないかと言われている」 (166頁)とあるが、諸屯節が古典舞踊の重要な曲であることはすでに知れ渡っている。ここ に「遊」と付したのは、王朝の中の権威ある古典とは違った、遊びのなかの歌舞だという意識 があったからではないだろうか。

 といって、私は「諸屯節」からの派生だと決め付けることは早計だと思う。歌詞のなかには、 確かに「諸鈍」が出ておらず、「諸鈍長浜節」とは全く異なる歌のようにみえる。しかし、次 の2点において「諸鈍長浜節」と同系曲であり、かつ古形を残したものであることが知れるの である。

 先ず、「ヒヤルガヒ」というハヤシコトバが、奄美の「諸鈍長浜節」の「ヒヤルガヘー」に 一致することである。私はこれまで、奄美の歌の系譜を探るのに、歌詞よりもハヤシコトバの 比較の方がいかに重要なポイントとなるかをいってきた者だが、この場合もまさに適合する。 次に、「諸屯節」との決定的な違いとして、「遊諸屯節」は上の句と下の句の旋律が、完全で はないが、ほぼ同じものだという点である。

 この点についても、かつて私は沖縄の古典音楽の詞形、反復形、ハヤシコトバの位極、旋律 等について上の句と下の句の関係を調査したことがある。その結果、いずれも均衡形から不均 衡形へと移行していくことが明らかになった。

 この「遊諸屯節」でいえば、歌詞の詞形だけをみれば上の句88調、下の句86調で明らか に不均衡だが、ここでは「アシュンサミ」というハヤシコトバを入れることで、下の句を88 調に近くしているのである。歌詞反復は上の句、下の句共にない。ハヤシコトバでいえば、上 の句、下の句それぞれの後ろに同じ言葉がおかれている点で均衡である。きわみは旋律が、上 の句、下の句ほぼ同じだということである。奄美の「諸鈍長浜節」も、沖縄古典の「諸屯節」 もこの点違っている。上下句同旋律であるという点で、「遊諸屯節」こそ最も古形を保ってい ることは疑いをいれないのである。


「しよんだう節」の場合

 代表的歌詞
  しゅどぅん ながはまに     共通語訳略
  うちゃいふぃく なみぬ
  しゅどぅん みやらぴぬ
  みわれ はぐち

  しゅどぅん みやらべぬ     共通語訳略
  ゆきぬるぬ はぐち
  いつぃか ゆぬくりてぃ
  みくち すわな

 歌い方(歌詞は前者)
  シュンドゥ
  しゅどうん ながはまに
  ヨゥア シュンドゥ
  うちぁいふぃく なみぬ
  ヨウア シュンドゥ
  しゅどうん みやらぴぬ
  ヨゥシュンドゥ
  みわれ はぐち
  ワタチャンド
  アシェウキ トゥタサ

 歌われる歌詞のうえからは、最も「諸鈍長浜節」に近いものといえる。しかし、明らかに 「諸鈍」が歌われているのに、「諸鈍節」という当て字はされず、「しよんだう節」とされてき たのは、どういう理由だからだろうか。

 問題は、「シュンドウ」というハヤシコトバにありそうである。「シュンドゥ」と「しゆどう ん」はほんのわずかの違いであるが、歌う人や記録者はハヤシコトバ「シュンドゥ」にこだ わったというしかない。−首を歌い終わるのに、4回も繰り替えされているのである。

 ここでこの歌が、沖縄では「醜童」と当て字される舞踊の曲として用いられていることに気 付くべきである*13。この踊りについて簡単に述べると、それは「打ち組み踊り」といわれ、 「しゅんどう節」「それかん節」「やれこのしい節」の3曲をもって−つの話を踊るものである。 それには仮面を被った醜女二名と素顔の美女二名の丁々発止とやりあう滑稽な踊りである。私 は、今も諸鈍に伝わる民俗芸能「諸鈍しばや(芝居)」のことを考えざるを得ない。諸鈍しば やに醜女が出てくる演目はないが、出演者がほとんど、「かみずら」と呼ばれる面を被るとい う点で共通する*14

 今のところ、確たる証拠はみつからないが次のようにいえはしまいか。「しゅんどう節」は もともと「諸鈍」とは何の関係もない歌の一つであった。しかし、発音が余りにも近いため、 宮廷の楽人達は諸鈍を歌った歌詞をそれに付けて歌うようになった。当時から、沖縄でも諸鈍 しばやの存在がよく知られており、ある時期ほかの2曲を加えて、芝居仕立ての舞踊にしたの ではないか、と。

 いずれにせよ、3曲を観察していえることは、奄美の「諸鈍長浜節」にもっとも近いものが、 「遊諸屯節」だということである。「諸鈍節」と「遊び諸鈍節」とは明らかに姉妹曲である。 「しゅんどう節」は発音は「諸鈍」に似ているが、もとは別の言葉で、ただそれに引きづられ るような形で諸鈍を歌った歌詞を用いたのではないかというのが、今考えられる結論である。

4.古典音楽と臼太鼓踊りの歌「謝敷節」との関連

諸鈍長浜節」と沖縄音楽との関係はこれで終わったわけではない。


  しょどんながはまに
  うちゃげぇひく なみや
  しょどん めわらぶぇぬ
  わらい はぐき


の、−句目だけが違った歌詞と、それを本歌とする曲が存在するからである。それは前掲「琉 歌百控」にも、現行古典音楽のなかにもある「謝敷節」と、沖縄本島各地に伝わる民俗芸能、 臼太鼓踊り*15の「謝敷節」である。
 初めに「琉歌百控乾柔節流」にのる歌詞と、「五線譜琉球古典音楽」に記述された歌わ れ方を示しておく。


 歌詞

   謝敷 板干瀬に
   打へ引波の
   謝敷 宮童の
   目笑 齦歯茎

   謝敷 宮童の
   はなまさい 姿
   わらいかを みれは
   あけちゃ くさへ 

謝敷の 板干瀬に
寄せては引く波は
謝敷の 女童の
目笑い 歯茎   *庶民集成364頁

謝敷の 女童の
花よりもまさる 姿
笑い顔を 見れば
まだあどけ ない *同上

 歌い方

   じゃじち いたびしに
   うちゃいふぃく なみぬ
   エウネ
   じゃじち みやらぴぬ ナ
   みわれ はぐち
   ウネエイ シュラヨゥ


 「謝敷」は国頭の−地区名で今も存在する。「琉歌百控」にも「謝敷節国頭間切謝敷村」と あるから確かである。
 曲を比較する限り、ハヤシコトバのうえからも、「諸鈍長浜節」との関連性をいうことはで きない。
 しかし、歌詞の上で「諸鈍長浜」と何らかの接触がなかったとも、もちろん考えにくい。と いって、「諸鈍」が「謝敷」に変わったとも、その反対とも断言する証拠はないのである。

 国頭は奄美に最も近い地域であり、昔は山に囲まれた集落であった。対して諸鈍は琉球文物 の流入口ともいうべき都である。「諸鈍」系の歌詞が沖縄でも広く歌われていたことも考えあ わせ、「諸鈍」のほうが最初の歌であったという理由付けも可能である。しかし、表現上「長 浜」よりも、板のように見える干瀬、つまり「板干瀬」の方が「歯茎」をイメージしやすい、 という見方もできないわけではなく、そうすれば「謝敷」先行説のほうが有利と考えられる。

 次は、おそらく「琉歌百控」の編集者たちが聞いたと思われる、国頭地方の臼太鼓踊りの歌 「謝敷節」をみてみる。−番に歌われる歌詞は、古典音楽のそれと変わらない。しかし、歌い 方を文字化したときには相当の違いが見受けられる。

 歌い方

  ササ スンドーヨー
  ざじち いたぴしに
  ササ スンドーヨー
  うちゃいひく なみぬ
  ササ シムヌハナ
  ざしち みやらぴぬヨ
  ササ スンドーヨー
  みわれ はぐち
  ササ ウキトゥリ ヘイ        *大観(沖縄)240-1頁

 ハヤシコトバ「ササスンドーヨー」が冒頭にきて、同じものが一句目、三句目のあとにも 入っている。二句目、四句目のあとにも相応のハヤシコトバが歌われる。特に四句目のあとの 「ウキトゥリヨー」は、歌掛け(交互唱)のおり、一方の集団が相方の集団に向かって「この 歌を受け取りなさい」という意味だとされる。相手方もそれに応え、次の歌は「ササウキ トッタセ」(受け取ったよ)で始まるのである。

 ここまで記せば、臼太鼓歌「謝敷節」が、前にあげた古典音楽「しゅんどう節」と似ている ことに気付くであろう。そこでは「シュンドウ」というハヤシコトバが四度まで繰り返し出て きて、おまけに最後が「ウキトウタサ」で締められている。「日本民謡大観(沖縄奄美)沖 縄諸島篇」の解説もはっきりと両者は同系である、と断じている(241頁)。

 とすれば、歌詞の先後関係はどう考えられるであろうか。私の結論をいうと、「諸鈍長浜 に.・・・・・・・」の方が先だということである。「スンドー」「シュンドゥ」というハヤシ コトバには、「謝敷」よりは「諸鈍」のほうが結びつきやすい。おそらくこの地方でも最初は [諸鈍」を歌い込んだ歌を移入したのだが、歌自身定着していくうちに、自らの土地名を取り 込んだのだろうと想像される。

 以上を一応の結論として、以下奄美各地に伝わる「諸鈍長浜節」系統の歌の系譜に話を戻す。 沖縄を終わって、奄美に戻るのはいささか不自然にも思えるが、諸鈍が場所柄、かつて琉球 文物の流入口であったことを思うと、最初に沖縄との繋がりを押さえておく方が方法論的にも 有効だと考えたからにほかならない。

5.奄美大島、加計呂麻島における八月歌のなかの関連歌

 「八月歌」とは、奄美大島、加計呂麻島、喜界島、徳之島(−部)の1日歴八月の祀り日に行 われる八月踊りに伴う歌のことである。踊りは集落単位で行われ、男性の集団と女性の集団が 1つないし2つの輪を作るか、渦巻状になって、歌を掛け合いながら踊っていくというのが原 則である。
 曲目は、今日少ないところでは1、2曲、多いところでは30曲を越えるところもあるが、踊 り歌として「諸鈍長浜」(八月歌では「節」を除いていう所が多い)を持っている集落は少な くない。
 ここに諸鈍の八月歌「諸鈍長浜」をあげてみる。八月歌の歌詞はその場、その時に応じて出 すのがふつうで、きっちり決まってはいないが、歌われる歌詞に傾向があることはむろんのこ とである。例にならって代表的歌詞と歌い方をあげる。


 代表的歌詞

  しょどぬ ながはまに     共通語訳略(以下同じ)
  うちゃげぃひく なみや
  しょどぬ みやらぴぬ
  わらい はぐき        *大観(奄美)273頁

  しょどぬ ながはまや
  やまとがでぃ とよむ
  しょどぬ みやらびや
  しまじゅ とよむ         *同上

  うらうらぬ ふかさ
  しょどぬうらぬ ふかさ
  しょどぬ みやらびぬ
  うみいぬ ふかさ         *同上

 歌い方

  しよどぬ ながはまに
  うちやげぃひく なみや
  ヒヤルガヘェ ハレ
  しょどぬ みやらびぬ
  わらい はぐき
  ウセ ヒヤルガヘエ        *大観(奄美)272-3頁


 文字化して吟味する限りでは、遊び歌「諸鈍長浜節」とほとんど変わらないことに気づくで あろう。しかし、歌のテンポや曲調は独唱と斉唱の違いからも同じであることはあり得ない。 しかし、「日本民謡大観(沖縄奄美)奄美諸島篇」の解説によれば、諸鈍の八月歌「諸鈍長 浜」の場合、裏声が用いられるというから、いくぶん遊び歌と近いものに感じられる。

 チジン(鼓)を楽器とした集団歌舞の歌、八月歌と、サンシン(三味線)を主要楽器とし、 個人の歌である遊び歌がどういう関係にあるかは、個々に考えるべきで、どちらが先でどちら が後だとは一般化できない。この「諸鈍長浜」に限るならば、遊び歌が何時の頃か、八月歌に 取り上げられた、というのが私の見解である。

6.喜界島における関連歌

 喜界島民謡は、奄美大島とほとんど変わらないというのが多くの人たちの印象であるが、そ れは近年(この4、50年来のことといってよいだろうか)、奄美大島の民謡のなかでも、特に 遊び歌が喜界島に入ったせいだと考えられる。私のフィールドワークの実感では、確かに伝承 されている曲の系統は、どこかで奄美大島の歌と結びつくものではあるが、「やちゃ坊節」や 「長朝花節」などがサンシン(三味線)太鼓で踊り歌風に歌われるなど、古風さが目立った。
 「諸鈍長浜節」との繋がりでみていくとき、看過できないのが遊び歌「池治長浜節」である。 残されている歌詞は以下のようなものである。

  いちじはま くぃてぃ
  すみゆしば くいてぃ
  なーま しゅらめらぴ
  ちゅみどぅ みちゃる

  しゅどうん ながはまぬ
  いちゃながさ あていむ
  いちじ ながはまぬ
  ういや きらぬ

  いちじ はまながし
  うちゃぎうちゃぎする なみや
  いちじ め−らぴぬ
  わらい はぐち
 

池治(地名)の浜を 越えて
住吉(地名)を 越えて
中間(地名)の きれいな女童を
一目だけ 見たことだ *大成510頁

諸鈍の 長浜が
如何に 長くあっても
池治の 長浜の
上は いかない    *同上

池治の 浜づたいを
打ち上げ打ち上げする 波は
池治の 女童の
笑った歯茎のようだ  *同上


 出てくる地名は、「諸鈍」以外は喜界島のものである。特に3首目は、沖縄の「謝敷節」で みたように、「諸鈍」のいい替えであることは明らかである。

 残念ながら、歌われ方まで文字化された資料は不明である。上の歌詞の採集者、久保けんお 氏は3首の紹介のあとに「琉歌「諸鈍長浜節」の類歌とみてよいが曲は相当違う」といってい る。しかし、民謡の伝承において最も変わりやすいのが曲調である、というのは私の民謡研究 の結果として得た、ひとつの結論でもある。断言は控えなければならないが、「諸鈍長浜節」 の系統であることは間違いないと思う。

 今また、喜界島には、八月歌として「諸鈍長浜」が歌われていることも分かった。インター ネット上に録音資料が公表されている同島川嶺集落のものである*16。本来男女の歌掛けで あったと思われるが、ここでは女性が二つのグループに分かれ歌掛けをしている。打ち出しの 歌詞のみあげておく。

  しょどんの ながはまや
  うちゃげ わらべ
  しょどん みやらべぬ
  わらい はぐき

諸鈍 長浜の
打ち上げては引く 童(意味不明)
諸鈍の 女童の
笑ったときの 歯茎


 歌詞の上からみれば、甲の二句目「うちやげめらべ」は「うちやげひくなみや」の転で あろう。問題はこの歌に「ヒヤルガヘー」系のハヤシコトバが全く出てこないことであるが、 おそらく欠落させてしまったに違いなく、「諸鈍長浜節」「池治長浜節」と繋がりあると考える のが自然である。

7.徳之島における関連歌

 徳之島も八月踊り系の歌舞(曲種、踊りの形態等は同じだが、7月を折り目と考えている地 域が広くあり、当然「八月踊り」とはいえないので仮にこう呼ぶ)があるという点と、音楽的 に民謡音階や律音階が主流で、琉球音階がそれほど入っていないという点で、奄美大島と文化 圏は一つだといえるかと思う。
 この島の遊び歌に「諸鈍長浜節」があるので、歌詞と歌い方をあげる。


 代表的歌詞

  しょどんぬ ながはまや
  やまとうがでぃ はやてぃ
  しょどんぬ めわらべや
  しまじまに はやて

  うらうらぬ ふかさ
  ぶまうらぬ ふかさ
  ぶまぬ めれんきゃぬ
  うめぬ ふかさ

諸鈍の 長浜は
やまと(本土)まで はやって
諸鈍の 女童は
しまじま(各集落)に はやって *井之川 大成52頂

浦々の 深いのは
母間(地名)浦の 深さ
母間の 女童たちの
思いの 深さ
*同上

 歌い方

  エーイ
  しょどんぬ ながはまやィ
  やまとぅがでぃ はやてぃ
  ヘーヤルガ
  アレ しょどんぬ めわらべや
  しまじまに はやてぃ
  ウセ ヒヤルガヘー            *同上


 ここにあげた1首目は、前掲の奄美大鳥用集落の3首目と同じものである。この「はやて」 が用では「とよも」と歌われている。違いはそれだけである。
 同様に2首目は、用の4首目に出てくる「諸鈍」がそっくり「母間」にいい替えられたこと が分かる。
 歌詞はともかくとして、実際歌われるときに「ヘーヤルガ」「ヒヤルガヘー」というハヤシ コトバが出てくることが、奄美大島の「諸鈍長浜節」と同系であることを決定的に裏付けてい るのである。

 次は、八月踊り系歌舞の「諸鈍長浜」と「うちこち」である。
 現在、「諸鈍長浜節」系の歌として採集され、記録されているものは、花徳集落に伝わる「諸 鈍長浜」と、阿権集落に伝わる「うちこち」の2曲である。

 花徳集落の場合は、独立した歌とはみなされず、同島の「田植歌」を八月踊り化した「投げ や節」のシメ歌として歌われる。シメ歌とは、歌の途中から曲の速さを変えるために節を変え る、その節のことをいうのである。これもいうまでもなく、男女の歌掛けであるから、例えば 次のように歌われる。

 〈男〉しょどん ながはまや
    うちやげひく なみぐゎ
    ヘンヤルガヘー

 〈女〉ういくとぅば いるぐゎ
    うもてんば しぬき
    ヘンヤルガヘー
 

諸鈍の 長浜の
打ち上げては引く 波っこ
(ハヤシコトバ)

あなたの言葉が 入って
あなたを思うと しんどい
(ハヤシコトバ)
*大成434頁


 「諸鈍」の歌われる歌詞は上の句で途切れている。実は、徳之島の八月踊り系の歌われ方は、 多く8886認歌詞のやり取りではなく、88調ないし86調歌詞で掛け合いを続けていくの である。
 ここにあげた歌の場合、打ち出しの歌詞に、本来つながるべく文句があったはずなのだが、 それがいつの間にか忘れられ、意味上つながらない歌詞が歌われるようになったのだと考えら れる。
 やはりこの歌でも「ヘンヤルガヘー」というハヤシコトバが歌われることが重要である。こ れをもって、奄美大島の「諸鈍長浜節」と繋がることは否定できないのである。
 阿権集落で歌われる「うちこち」には、「諸鈍」を歌った歌詞は出てこないが、歌い方をみ てみると無関係とは思われなくなってくる。

 〈甲〉うしこしに
    うしぬとぅり しえて
    ヒヤルガフェー ヤレー

 〈乙〉ういとわきゃ ゆろて
    いちあすで みちゃんが
    ヒヤルガフエー ヤレー

(意味不詳)
鴬の鳥を 据えて
(ハヤシコトバ)

あなたと私達が 寄り合って
何時遊んで みただろう
(ハヤシコトバ)
*集成(奄美)432頁

 これも掛け合いで歌われた例である。甲の歌詞は、58調だが、本来88認であったものの 崩れかもしれない。いずれにせよ、甲の文句と乙の文句は意味の上でつながっていない。その 点は花徳の「諸鈍長浜」と同じである。
 問題は、この歌でも「ヒヤルガフェー」というハヤシコトバが歌われていることで、「諸鈍 長浜」との関連を考慮せずにはすまないのである。

8.沖永良部における関連歌

 沖永良部島でも、遊び歌として「諸鈍長浜節」系統の歌が歌われていることは確認していた が、公になった採集記録をみつけることができずにいた。しかし、今回地元の伝承者、川畑先 民氏*17から聞き書きをしたり、氏の協力で見ることの出来た、1989年に和泊町民謡同好会が作成した冊子「沖永良部民謡集」のなかに「ショドン ナガハマ」という歌が収載されていることを知り、実際が明らかになった。

 先ず、和泊町の冊子にある「ショドン ナガハマ」(ここでは「節」は付けない)にあげら れた歌詞4首をあげる。

  しょどん ながはまに
  うちゃいひく なみは
  いけじ みやらぴぬ
  みわれ はぐち

  しょどんぬ みやらぴぬ
  いちゃんちゅらさ あてぃむ
  いけじ みやらびぬ
  ういや いかむ

  いけじ みやらびぬ
  ふしゃぬむぬや ぬ−が
  うしまきとぅ ひやだけ
  しきちゃ まきちゃ

  しきちゃとぅてぃ ぬーしゅよ
  まきちゃとぅてぃ ぬ−しよ
  いけじみ やらびぬ
  ぬのどぅ まちゅる

諸鈍の 長浜に
打ち上げては引く 波は
池地 女童の
目笑い歯茎

諸鈍の 女童の
いかにきれいで あっても
池地の 女童の
上は いかない

池地の 女童の
欲しいものは 何か
うし巻きと ひや竹
しきちゃ まきちゃ

しきちゃを取って どうするのか
まきちゃを取って どうするのか
池地の 女童の
布を 巻くのだ



なお、歌詞ごとに記されている歌い方をあげると、


 ウシー
 しょどんなが'ままに
 うちゃいひくなみや
 ヒヤルガヘー
 ウシ
 いけじみやらびぬ
 みわれはぐち
 ウシー ヒヤルガヘー
 ヨハレ ヒヤルガヘー


となり、奄美大島の「諸鈍長浜節」と同系であることは疑いようがない。

 なお、前掲、川畑先民氏が記憶するところでは、古老たちは同系曲を「ちどうり(千鳥)長 浜」といって歌っていたという。はっきりした歌詞の記憶はないといわれるが、「諸鈍長浜」 が「千鳥長浜」に変化したものであろう。奄美、沖縄では「千鳥」はよく歌に出てくる鳥であ り*18、「千鳥長浜節」があっても不思議ではない。

 いずれにせよ、「諸鈍長浜節」が、相当古くから沖永良部に伝わる歌であることは確かだが、 川畑氏は、奄美大島にほとんど同じ歌があることが分かった以上、これでは島の民謡とはいえ ないといい、「永良部長浜節」として歌おう、という試みをしている。今後、どのような形で 定着するのかは予想できないが、歌の歩みの一駒を明らかにしておくためにも、川畑氏の歌詞 を記しておきたい。

  えらぶ ながはまに
  うちゃげひく なみや
  えらぶ みやらぴぬ
  しがた でもぬ

永良部の 長浜に
打ち上げては引く 波は
沖永良部の 女童の
姿 であるよ

9.与論島における関連歌

 おしまいにあげるのが、与論島の「しゅごう中棚節」である。与論島には、沖永良部同様、 八月踊り系の芸能はないので、三線を伴奏に歌われる遊び歌ということになる。
 「しゅごう中棚」というのは、与論島にある地名で、「与論島の民謡と民俗」*19によると、 墓地のある島の南端中央辺りを指す説や、海辺の、飲食しながら歌い踊る遊びの場を指す説が あるという。もしかすると固有名詞というより、「しゅごう」は潮水も混じっている海に近い 川をいい、「中棚」は平ぺったい広場を指す普通名詞というほうが相応しいともいえる。とも かくここに、「しゅごう中棚」ないし「しゅごう」という地名が出てくる歌詞をあげる。

  しゅごうぬ なかだなや
  わがはゆてぃ あたり
  わがはゆい やしゃぬ
  ぬだき なーち


  いひゃぬ ななぱなり
  うちゃがていどう みゆる
  あしぴ うちゃがゆる
  しゅごぬ ばんた


  しゅがぬ なかだなや
  うちゃがてぃどぅ みゆる
  あしぴ うちゃがゆる
  しゅごぬ はんた

しゅごうの中棚には
私が通って いたよ
我通いの 足りなくなったので
ぬだち(雑草名)が 生えた
*茶花・大観(補遺)290頁

伊平屋島の 七離れ
浮き上がって 見える
遊びも 浮き上がってくる
しゅごの ばんた(高台)
*同上

しゅごの 中棚は
浮き上がって 見える
遊びも 浮き上がってくる
しゆごの 崖端
*同上

 歌われ方は二様ある。ハヤシコトバが違うのである。

 歌い方その1

  しゅごうぬ なかだなや
  わがはゆてぃ あたり
  ヘンヨー ヌーガヨ ウッシー
  わがはゆい やしゃぬ
  ぬだき な−ち
  ウッシー ヘンヨー ヌーガヤ
  マタガディ ヘンヨー ヌーガヨ     *茶花・大観(補遺)290-2頁

 歌い方その2

  いひゃぬ ななぱなり
  うちゃがてぃどう みゆる
  ヘンヨー ヌガヒャルヘ ウッシー
  あしび うちゃがゆる
  しゅごぬ ばんた
  ウッシー ヘンヨー ヌガヒャルヨー
  マタガデイ ヘンヨー ヌガヒヤルヨー  *同上

 「ヌーガヨ」というハヤシコトバが、たかだか「ヌガヒャルヨ」に変わったに過ぎない。し かし、「ヌガヒャルヨ」が、各地の「諸鈍長浜節」にあった「ヒヤルガフェー」に繋がってく ることは紛れもない事実である。

 ついでながら、先掲「与論島の民謡と民俗jには、かつて与論島に、

  いちょ−き ながぱまに
  うちゃいひく なみや
  あがさ め一らぴぬ
  みわれ はぐき

いちょ−き(地名)の 長浜に
打ち上げては引く 波は
赤佐(地名)の女童の
目笑い 歯茎
*同普593頁

 という歌詞があったといい、「諸鈍長浜(しゅどーぬながぱま)」という曲名があったことも書 かれている。曲の趣は与論と奄美大島のとでは余りにも違うが、「しゆごぬ中棚」も、もとも とは「諸鈍長浜節」であったというのが著者の見解である。私もそれが正しいと思う。
 かくて「諸鈍長浜節」の系譜をたどる旅は終えるが、歌というものは何処までも根を張り、 その土地土地に花を咲かせるというきわめて強い生命力を持った生き物であることを改めて確 認することとなった。


*1 町田嘉章・浅野健二編、1960年、岩波書店発行
*2 外間守善編、1971年、三一嘗房発行
*3 田畑英勝・亀井勝信・外間守善編、1979年、角川書店発行
*4 富浜定吉著、1980年、文教図書発行
*5 日本放送協会編、1991年、日本放送出版協会発行
*6 那覇出版社編集部編、当間一郎監修、1992年、那覇出版社発行
*7 日本放送協会編、1993年、日本放送出版協会発行
*8 東京芸術大学民族音楽ゼミナール編、1995年、日本放送出版協会発行
*9 奄美民謡は大きく、①「行事の歌」②「仕事の歌」③「遊びの歌」に分類することが可能 である。「遊び歌」はいうまでもなく③に属するものだが、「しまうた」「サンシン(三味 線)歌」などともいわれ、奄美の「歌遊び」といわれる場で歌われるものである。本来は 掛け合いで歌われるが、その習慣は近年少なくなった。
*10 注2の分類では①に属する。旧暦8月(1部の地域では7月)は、稲作中心の時代、1年 の折目とみなされた時期で、多くの祭り日が集中する。八月踊り(夏目踊り、浜踊りなど というところもある)はそこで歌い、踊られる集団歌舞。集落単位の踊りで、広場で行わ れたり、集落中の家を一軒一軒廻って、その庭で行われる。男性グループと女性グループ とが歌を掛け合いながら踊るのが基本だが、近年くずれつつある集落もないではない。楽 器は手に持ちながら打つ、チジンといわれる太鼓で、これも何人かの踊り手が歌いつつ、 踊りつつ打つ。
*11 琉球王府で継承されてきた音楽をこのように呼び、庶民の間で歌われてきた民謡とは普通は区別する。「工工四」(クンクンシー)と呼ばれる楽譜が用いられてきたことも重要である。
*12 注2の書に解題とともに全文が翻字されている。
*13 注8の書、332-3頁など参照
*14 注8の書、87-8頁など参照
*15 注8の書、56-7頁など参照
*16 ホームページ「ラジオ喜界」
http://www・kikaijimacom/simauta/O6kawa-hatigaall-32html

*17 川畑氏は昭和7年生まれ。知名町上城出身
*18 沖縄の舞踊曲「浜千鳥節」、奄美大島の八月歌「ちじゅりゃ浜」等があげられる。
*19 川村俊英縞著、1984年、自家出版
トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2013-04-10 (水) 12:47:01 (2019d)