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奄美の童歌と神歌を繋ぐもの

Connected elements within Traditional Children's Songs and
Religious Songs from the Amami lslands.
キーワード 奄美の童歌奄美の神歌願望表現対句
小川学夫

目 次

1.奄美における伝承歌謡の分類

 奄美における伝承歌謡の分類方法はいくつもあるが,私は「童歌」「民謡」「神歌」の三分類法 をとっている。本論で問題とするのは,このなかの「童歌」と「神歌」である。
 まず童歌は,子供等が子供社会のなかで,ある対象に呼びかけたり,遊戯や仕事をしながら歌 う歌のことである。ここで子守歌をどう扱うかという問題があるが,それを母親など大人が歌う 場合は明らかに仕事歌であるし,子供が歌うとすれば童歌として扱わねばならないだろう。
 奄美には「童」が歌った「ワラプ」とか「ワラビ」「ワレンキヤャ」といった言葉はあるが,「ワ ラベウタ」という言葉は,あまり聞かない。ここで「童歌」というのは,奄美の言葉ではなく, 斯界で一応の認知を受けた用語だということである。*1
 童歌のさらなる分類についても研究家によって異なり,確立された方法はないが,私は大まか に,自然や天体や自分らの体に生じた現象(歯痛,疵など)などへの呼びかけ歌と,毬つき,お 手玉,縄跳び,お絵かき等々,遊び自体を継続していく遊戯歌にわけている。ちなみに子守歌も, 赤ん坊への直接的な呼びかけ歌と,子守の時を過ごすだけの呼びかけを含まぬ仕事歌に分けるこ とができるであろう。
 当然その表現の形は異なる。前者は,対象に対する願望が主たるものになるし,後者は,その 遊戯ないし仕事を続けていくための主情を廃した言葉遊び的な,あるいは物語歌的なものが主流 をしめる。中には両要素が混在したものもないではないが,一応,小論では対象に対して何らか の願意を含むものを1類,願意を含まないものを22類と呼ぶことにしたい。なお,あえて大人の 歌と子供の歌の境界が分けにくい子守歌は,本論では扱わないこととする。

 今日,奄美の童歌の状況を知ろうとすれば,昭和54年発行の「南島歌謡大成V奄美篇」(田 畑英勝ほか編角川書店刊以下「大成」と略称する)と,平成5年発行の「日本民謡大観(沖縄 奄美)奄美諸島篇」(日本放送協会編日本放送出版協会刊以下「大観」という)と,昭和 55年発行の「日本わらべ歌全集26 鹿児島沖縄のわらべ歌」(久保けんお他著柳原書店刊以 下「全集」という)が欠くことのできない資料集である。ちなみに,「大成」には,名瀬市根瀬 部出身の郷土研究家,恵原義盛(故人)が「ユングトゥ」という名のもと約100種の子守歌を含 む童歌を27頁にわたって載せている。
 実は,この「ユングトゥ」という言葉が問題で,奄美の他地域では,子供の歌というより,大 人の呪言的なものも含めてそう呼んでいる。語源的には「詠み言」とされるが,もし童歌に限定 してこの言葉を使うのなら「ワラベユングトゥ」とでもいったほうが正確であろう。
 ついでながら,「大成」には,このほかに「わらべ歌・言葉遊び」「手まり歌」「お手玉歌」「子 守り歌」という項目があり,それに40頁を当てている。「大観」では,「子どもとの関わり」ある 歌として,88曲が43頁にわたり載せられている。また「全集」には,奄美の童歌は,むろん鹿児 島県内の他地域の歌と混ざって載せられているが,相当数にのぼる。

 さて,一方の神歌とは,島々でユタ*2とかノロ*3といわれる職能的な宗教者や, それに準じた村の物知りとか,大工,かじ屋などの職業者が祭祀や呪術行為の場で歌う歌のこと である。
 実際には「クチ」「オモリ」「タハベェ」「シンゴ」「ナガレ」(ないし「ナガネ」)「マジニョイ」 「ハレクトバ」などといわれているものである。なお,一般的な成人が病気治しなどの純然たる 呪術行為として歌うとすれば,それも神歌,ないしそれに準ずるものとして認めるほうが実際に 即すのではないだろうか。神歌も,その表現から二つの方向に分けられる。
 一つは,神ないし対象に向かって直接的に祈願する形のものである。これに対して,神々の物 語や,島の創世,稲作や織物など生産の由来や過程を叙事的に歌っていく形のものがある。これ も前者を神歌の1類,後者を神歌の2類と呼ぶこととする。童歌の場合,1つの歌に1類と2類 とが混在することは比較的少ないが,神歌では混在することの方が多い。これは後にいくつか事 例を示すことになろう。
 現在,奄美の神歌の全体を知ろうとすれば,やはり「大成」と「大観」が有益である。前者に は,208頁が神歌にさかれ,後者では,726頁のうち45頁がそれに当てられている。本稿もその大 方を今まであげた資料に頼ることとなろう。

 本稿では直接関係がないが,民謡についても私なりの概念規定をしておく。それは一般庶民が 行事や仕事や遊びの場で歌う歌のことである。一連の八月行事に出る八月踊りの歌や,仕事歌 「イトゥ」や,歌遊びに出る「シマウタ」などがそうである。これまでの採集状況からいえば最 も充実した分野といえる。むろん「大成」「大観」の2箸にもかなりの量,収載されていること はいうまでもない。

 3ジャンルのあらましは以上であるが,これまでの南島歌謡史をみるとき,神歌と民謡(主に 琉歌)の関係や,神歌から民謡(主に琉歌)への推移について論じられることはあっても,神歌 と童歌の相互関係について論じられることはほとんどなかった。果たして両者は無縁の存在なの か,連続性はないのか,というところから問題は始まる。
 もしどこかで繋がるとすれば,「神歌→童歌」という流れが正しいのか,はたまた「童歌→神 歌」の流れを考えるのが妥当なのか,それも問題とされなければならない。その先後関係はとも かくとして,私は従来から神歌と童歌とは想像以上に緊密な関係があると考えてきた。その根拠 が,両ジャンルの歌謡にみられる願望ないし祈願表現の類似と,対句が表れる頻度の高さである。 本稿はこの2項に絞って,両者のつながりを考えてみようとするものである。

2.願望表現の諸相

 先ず童歌,神歌,それぞれ1類に属する歌の「願望表現」について,比較検討してみたい。 以下にあげる事例は全て「集成」からとった。現在量的に最もまとまっているからである。引 用に際しては,詞章,訳文,伝承地を含めてできるだけ原文に沿ったが,表記の形は変えた部分 がある(訳の付し方,行わけ等)。タイトルについては,童歌は筆者が変えたものがあるが,神 歌は原文通りとした。*4

童歌の場合

 最初は童歌について,いくつかの事例をあげ,願望表現の諸相を観察し分析する。

事例1 風への呼びかけ
 かぜ かぜ(風よ 風よ)
 にしぶちいきぃ−(根瀬部く地名〉へ行け)
 いき一(行け)
                          ※大島名瀬市P676
 風に向かって,他所の地へ去れというもの。
今も,母親がよく子供たちにいう「痛い,痛い飛んでいけ」と,同じ形である。

事例2 鷹への呼びかけ
 たあ たあ(鷹よ 鷹よ)
 よれらが あしゃがれぃ(今晩から 明日まで)
 まいよ まいよ(舞えよ 舞えよ)
                          ※大島名瀬市P679
 空飛ぶ鰯を見て,いつまでも舞い続けて欲しいと願うものである。

事例3 太陽への呼びかけ
 てだ てだ て−れ(太陽よ 太陽よ 照れよ)
 はぶら くっちぇ かまそ(蝶々殺して食わそ)
                          ※大島名瀬市根瀬部P655

 日向ぼっこをしようとして,太陽が雲に隠れているのを見ると,こんな歌を歌って暖かく照っ ておくれと願ったのである。太陽のあの光線の美しさのもとは,蝶々だという幻想が働いたもの であろう。

事例4 かたつむりへの呼びかけ
 ちんなんにゃ− ちんにゃんにゃ−(でんでんむしむし)
 いじてもればやらんかい(出ておいででないか ないか)
 わらんきゃんにん(童達に)
 まきうたそ−(額を打たそう)
 ちのうたそ−(角を打たそう)
 ほ−いほい(走れ走れ)
                           ※同上P652
 「かたつむり」への呼びかけ歌は世界中にあるが,この歌もかたつむりに競争させるのに,顔 を出して走らなければ額や角を子供等に打たせるぞというのである。

事例5 雷よけのまじない
 くゎ−ぎん む−とぅぬ(桑の木の根元の)
 ひょ−ねぶ ひょ−ねぶ(瓢柄杓 瓢柄杓)
                           ※同上P655
 奄美では,瓢箪の柄杓をかけておくと,雷が落ちないという伝えがあるという。それを雷に言 葉で伝えたわけである。本土では,「桑原,桑原」といって桑の呪力を頼りにするが,この歌の 「桑の根元」もそれに関係するものであろう。

事例6 草むらに入る時のはぶ(毒蛇)よけのまじない
 めぐらぬ くゎ−まが(盲の子孫)
 だりょんど−(でありまする)
 とぅがめたぼんなよ−(咎め給うなよ)
 かほがなし は−ととがなし(無災神 尊々神)
                           ※同上P655
 奄美の人々のはぶに対する恐れは,潜在意識の中に深く刻み込まれているといえる。自分は盲 目の子孫で,力ないものだから,どうか答めて下さるなと言っているのである。「かほがなし ととがなし」というのは,一見神の名のように見えるが,感嘆詞に近い祈りの言葉だといってよ いだろう。

事例7 喉にかかった魚の骨を落とすまじない歌
 うぬとぅりぬ ぬでなん(鵜の烏の咽咽に)
 はしかけて(橋掛けて)
 ふかされば うとぅせ(深ければ落とせ)
 あさければ ふきざせ(浅ければ噴き出せ)
                            ※同上P657

 実際に魚の骨が喉に引っ掛かった時,水の入った湯飲みに十文字に箸を掛け,この言葉を唱え て,箸の間から水を飲むのである。
 この湯飲みは鵜の喉のシンボルであり,箸は橋に掛けたものだ。

事例8 ものもらいを治すまじない
 いぴーり(ものもらいよ)
 わ−うとぅとぅ−くゎ(吾が弟よ)
                            ※同上P656

 ものもらいができると,末っ子を頼んで来て,ものもらいを指さしつつこのまじない歌を歌っ てもらう。弟などいない彼に,「弟よ」と呼びかけさせるのは,「おとといおいで」といって悪い ものを追い出すようなもので,相手の力を無効にする呪術を言えようかと思う。

 以上,それぞれの歌について,簡単なコメントを加えてみたが,先ず願望の対象から見ていく。
一般にはそれを口にするところから始まるが,事例5,6,7のように対象ははっきりしてい ながら,呼ばない場合もある。全体から見れば圧倒的に少ない形だといえよう。
 そこで,子供等はどのようなものに呼びかけているだろうか。そこに願意が含まれているか, どうかは問わず,「大成」の「ユングトゥ」のなかから具体的にあげてみると「牛」「馬」「鶏を 追う子供」「豚」「雀」「烏」「山鳩」「磯鴨」「つぐみ」「せきれい」「ひよどり」「ざしば」「あかしよ うびん」「とんぼ」「かたつむり」「川えび」「どんどる(節足動物の−種)」「かまきり」「いるか」 「にんにく」「頭でっかちの子」「夕焼け」「虹」「雨」「雨に濡れた子」「太陽」「風」「満ち潮」「雷」 「坂道を歩く仲間」「草むらのはぶ」「山水に入る蛭」「砂遊びの砂」「くしゃみ」「腹痛」「打撲傷」 「目のごみ」「ものもらい」「抜けた乳歯」「喉にかかった魚の骨」「隣りの集落の人たち」と,多 彩である。
 ほとんどが,きわめて具体的な事物か,現象であることが分かるだろう。幼いと言えば幼いが, まだ「神」とか「霊」といった抽象的なものへの願いはほとんど現れていない。
 つぎは願望の内容だが,それをまとめてみると,

 ①都合の悪いものが去って欲しい
 ②相手に何かをして欲しい
 ③相手に何かをしてもらいたくない

という3つに分かれる。
 ①に該当すると思われるのが事例1と8である。
8は問題ありかもしれないが,いずれにせよ,「都合悪いものをどこかに移す」という願いが 気持ちの底にあることは間違いない。
 ②に当たるのは,事例2,3,4,7で,これは説明の必要はないと思う。
 ③に当たるのは事例5である。言葉には出ていないが,雷に落ちてもらいたくないという願望 は明らかである。

 それと事例7は,はっきりとはぶに対して「咎め給うな」と歌っている。
最後の問題が,この願意をどのような方法で表現しているかということである。 事例1,2は「風よ、○○に行け」「鷹よ、いつまでも大空で舞え」といっているだけのきわ めて具体的で,単純な型である。

 ところが,その願望をより効果的たらしめるために,条件を付加した形の歌がある。資料3, 4,5,6である。
 資料3は,太陽に対して,もし照ってくれたら蝶々を食べさせるという。
 資料4のかたつむりには,もし出て来なければ角や額を打つという。資料5の雷へは,ここに は瓢箪の柄杓が掛かっているから落ちるなといっているのである。資料6のはぷへは,自分は盲 目なのだから,哀れみをもって許してくださいという。
 実はこの「○○するから○○しなさい(○○するな)」という形の表現方法は世界中の童歌に 普遍の現象だといえる。こうした甘言型,威嚇型,乞憐型以外にも恩瑞せ型や慰撫型などがあり, この部分が童歌の文学的な面白さを加味しているともいえるのである。
 これら一群の願望方法に対して,条件付加型表現方法と名づけておきたいと思う。
 事例7,8は,この条件付加型ではくくれないものである。
 事例7の魚の骨が掛かった時のまじない歌は象徴的表現,あるいは比嶮的表現としかいいよう がないであろう。それは言葉だけでなく,まじないに使うその湯飲みはその子の喉,あるいは鵜 の喉の比噛であり,また湯飲みに十文字に掛ける箸は橋の比楡にもなっているのである。
 事例8のような表現を−口にどういったらよいかその言葉は思い浮かばないが,悪しきものを, 存在しない誰かに移そうと実修するのは,やはり象徴的ないし比愉的行為だといえる。これらを, とりあえず比瞼型表現方法といっておく。
 以上,童歌における願望表現について,3つの側面からみてみた。

神歌の場合

 次に神歌について検討し,それから童歌との比較を試みよう。
 神歌はその機能上,全てに祈りの要素が含まれていることは間違いないが、発生の上では,人々 の神への祈りと,神(神がかった人)の託宣に分けるべきだとする考えがある。その前者,後者 が先に述べた1類,2類の表現に結びつくと思うのだが,今日残されている神歌をみていく限り 純然たる2類の神歌はあまりないといってよい。神の出自や島の創世,稲の由来などを歌った長 い物語歌も最後は,歌う人の願意でしめくくられる例が多いからである。いずれにせよ,童歌に ならって,ここに1類の表現をとる神歌を例示してみる。童歌に比して長編が多いので,前後を 省略するものもある。

事例9 神酒のくちあけのオモリ*5
 みきゃ みきゃくめて(神酒や三日込めて)
 ゆきゃ ゆはくめて(四日は四日込めて)
 こめます とりゆして(米 真塩取り寄せて)
 たれに みきつくて(樽に神酒を造って)
 おをしま ひるめて(大島広めて)
 こじま ひろめて(小島広めて)
 とねとね いっぱいひろめて(神女神殿広めて)
 いまざと とよむ にしもりの(今里は響動む西森の)
 みよちよに おやのろが(御代千代に親祝女が)
 とねとね いっぱいはやらしぇ(神女神殿 たくさんはやらして)
 うがで しょろれぱ(拝んで候えば)
 しがつの おふりがれ(四月の御送れ祭りまで)
 しゅびよく むらかこて くれんそぅれ(首尾よく村を加護って呉れ候)
                            ※大島大和村今里P20

 ノロ神達の神歌で,村落の祭祀に欠くことのできないミキ作りにおいて,いよいよ樽の口を開 ける儀礼の歌である。神酒を仕込んで,神の威力を島中に広めて,ノロの某が拝みますので,神 が海の彼方に帰る4月の祭りまで,どうか村を守って下さい,というもの。

資料10 新穂花のタハベ*6
 ねりや うふぬし(ねりやの大主)
 あが(吾が)
 まがうし くぅぬでぃ(すきをする牛を選び)
 ふうまし くぅぬで(大田を選び)
 あぶしましくぅぬで(大田を選び)
 こまし くぅぬで(小田を選び)
 みじょりまし くぅぬでぃ(清浄な田を選んで)
 てぃくたん ねごほんだれや(作った稲種く米〉は)
 むらぬ あたり(村の当番に当たっている)
 しゅが がみが(神酒作りたちが)
 おみき てぃくてぃ(御神酒を作って《お祭りをいたすので》)
 うんじゅく(運気強く)
 むろったぽれぃ(いただかせて下さい)
 み−じゅく(身強く)
 むろったぼれぃ(いただかせて下さい)
                            ※加計呂麻島花富P49
 事例9同様,ノロの歌である。新穂祭りの儀礼に伴うもので,ここではミキの原料である米の ことから歌い始められ,ミキを作って祭りをするから,運気強〈,身強くさせて下さいと祈る。

事例11 風邪から守るクチ*7

 −前略一
 あくかぜあろうか
 かみかぜあろうか
 四十九のほねにしんこだる かぜあろうか

 しまつきんどのかぜあろうか
 ふきやかえすんど
 ふきやはらゆんど
 これできかんときなれば
 ひぜんのくにのかみもりが
 せんまいうちあわせたる
 みずがたなをもって
 ひぃふぅみぃよぅいぃむぅ
 ななやぁこんとうのふうさあ
 十二方うちあけて
 まくぴうちきりゅんど
 しじれうちきりゅんど
 たてぎりしてくれんど
 よこぎりしてくれんど
 ホーとうとうがなし
 なむあみだぶつ


(悪風邪あろうか)
(神風邪あろうか)
(四十九の骨に染み込んだ
 風邪く病気〉あろうか)
(始末禁固の風邪あろうか)
(吹き返すぞ)
(吹き払うぞ)
(これできかかないときになれば)
(肥前の国の神守が)
(千枚打ち合わしたる)
(瑞刀をもって)
(一,二,三,四,五,六)
(七,八,九,十のフウサア)
(一二方打ち明けて)
(真首打切るぞ)
(筋根を打切るぞ)
(縦切りしてくれるぞ)
(横切りしてくれるぞ)
(ホー尊貴加那志)
(南無阿弥陀仏)

※大島P30

 誰が歌ったかの性はないが,日ごろ個人や家の災厄除去や予防,占い等を主たる仕事とするユ タ神のまじない歌に相違ない。
 「なむあみだぶつ」の言葉から,本土流れとも想像されるが,やはり偉大な神の力をもって切 り倒してやるぞというのである。

事例12 くさながね*8
 「松金様が,今日のよい日に門を開けて,あすりく地名〉を通って山の筋に登ってみると,青 木や,薄や,九年木や,しじゆく花や,ざんきらの実や,つるまきかずらや,かねふかずらが美 しく生えており,これらを引き寄せて家に帰る。そうしたら神の迎えがある」という内容に次の 詞章が続く。

 きゆぬ ゆかる ひゆり(今日の良い日に)
 まさる ひゆり(まさった日に)
 わんぬおもいまちがねざま(私の思松金様)
 口口口口口口口口口口口口(魂を呼ぶ人の名前)
 きんぬ ひとかま とりゆしてぃ(黄金の一鎌取り寄せて)
 ひきゆしてぃ くりんしょ−れ(引き寄せて下さい)
                             ※徳之島町P207

 ユタ神の儀礼でもマプリワーシ(魂分かし)と称して,死者の霊を呼ぶ歌である。 祈りの相手は松金様という,ユタ神の祭神で,最初に儀式に使う木や花や草を歌い,最後は某 の霊を「引き寄せて下さい」と祈っているのである。

事例13 にぎ(魚骨)グチ
 ひんじゃ うやのろが(平安座く沖縄の平安座島〉親ノロが)
 あらぱなぬ しかま(折目祭の朝)
 あらぱな たとかにしれぃば(折目祭に出ようとすると)
 ゐひり ひんじゃが(兄弟のひんじゃが)
 にぎぱ ぬでぃ(魚の骨を飲んで)
 さねば ぬでぃ(小骨を飲んでしまって)
 あらぱなぬ しかま(折目祭の朝に)
 あらぱな たたらじ(折目祭に立てずに〈困っている〉)
 うんどぅりぬ くちどぅ(海鳥のようにのど太い口だよ)
 あとおぬ くちどぅ(あとう〈鳥名〉のようにのど太い口だよ)
 わんぬ いじぶぇぐちが(私の霊妙即効なにぎ口で)
 ふきぃば ふきだそ(吹けば吹き出してやろう)
 ふきぃば ふきうとうそ(吹けば吹き落としてやろう)
                           ※大島竜郷町秋名P97〜98

 童歌にも魚の骨をとるまじない歌はあったが,これはユタや,村の物知りなど大人によって伝 承されたもの。先ず,兄弟が魚の骨を喉に引っ掛けてしまったので,新花という儀式ができない という。だから,鵜のように太い喉を持たせて,自分の呪言の力で,それを噴き出そうと言って いる。

事例14 血止めのタブェ
 もとんちは(元の血は)
 もとえかえせ(もとにかえせ)
 もとんかえせ(もとにかえせ)
 もとんかえせ(もとにかえせ)
 もとんちは(元の血は)
 もとえかえせ(もとにかえせ)
 もとえかえせ(もとにかえせ)
                       ※大島瀬戸内町武名P109
 村の長老や物知りが時に応じて唱えたと推測される。「血よもとに帰れ」と繰り返しているだ けのものである。

事例15 流行風邪(はやりかぜ)のタブェ
 よろいしまや(与路の島は)
 かみぬしま(神の島)
 だりょんかな(ですから)
 はやりかぜひきや(はやり風邪は)
 くぅんしまちや(この島には)
 いれいったぼんな(入れないでください)
                            ※与路島P104
 これも村の長老等が,風予防のために唱えたものであろう。

事例16 はぜ負けのタブェ
 はじむぇ はじむぇ(はじむぇくはぜの木〉はじめぇ)
 わん もけしんな(私に手向かいするな)
 わん もけしれぃば(私に手向かったら)
 わが いしょぬ ちのくゎに(私が海の角に)
 かますっと くわすっと(かますぞ かますぞ)
                          ※大島笠利町佐仁P108

 これも村の物知りなどが,時に応じてやっていたもの。「海の角」が具体的に何物かは分から ないが,「手向かいしたらこれに食べさせるぞ」と言っている。

 以上の事例は,ノロ,ユタや一般庶民に近い村落の長老や物知りが時に応じて用いるものであ る。それぞれ,祈る対象や祈りの表現に違った色合いがあることは事実で,同一に論じることは 問題なしとはいえないが,敢えてあげてみた。

 童歌にならって,(1)祈りの対象(2)祈りの内容(3)祈りの方法について順次みていく。
 何を祈りの対象としているかということでは,童歌は具体的な事物や現象に対するものがほと んどであった。しかし,大人の神歌はきわめて具体的なものから抽象的なものまで多様である。 今あげたものをみるだけでも,事例9,10は,海の彼方からやってきた神へのノロ神たちの祈り であり,12はユタ神が自ら祖神として信ずる松金への祈りである。事例15は,呼び掛けの言葉は ないが,「神の島だから」と言っている以上,村落を守る神と考えてよさそうである。

 これに対して,事例11,14,16は,それぞれ風邪,血,はぜという具体的なものに対する直接 的な呼び掛けである。童歌に近い形だといえる。
 もう一度,これまで採集されている神歌から祈る対象を拾いあげてみると,ノロやユタたちが 信仰する神々(水の神,火の神,地炉の神,太陽の神,ネリヤの神,朝日の神,夕日の神,天狗 の神など)が圧倒的に多く,他に「死霊」「生き霊」「祖先」「稲魂(いにやだま)」「海の潮」「悪 風邪」「目に入ったごみ」「咽の掛かった魚の骨」「腹痛」「下痢」「麻疹」「かざほ」「庖糖」「膿庖 瘡」「ものもらい」「坂の神」「夜道に出る悪霊」「はぶ」「夢」「地鯉」「雷」等々があがる。正に アニミズムの世界である。
 次は祈りの内容だが,これも童歌同様,

 (1)悪いものが去って欲しい。
 (2)何かをして欲しい。
 (3)何かをして欲しくない。

 という3つのいずれかに分けられる。
 今あげた事例11だけが,「風邪」に対して「吹き返すぞ」「吹き払うぞ」といっているから,(1) に該当すると考えてよい。
 以下,事例9,10,12,13,14は(2)の範畷に入り,事例15,16は(3)の範畷に入れてよいだろう。 祈りの方法についてはどうか。
 事例14の血止めの呪文は,言葉を繰り返して祈る文字通り単純型である。
 童歌の付加型に当たるものとしては,事例11,15,16があげられる。11では,「聞かない時に は刀で首を切るぞ」といい,15は「ここは神の島だから」と威光を強調し,16は「海の角に食わ せるぞ」と脅す。では,事例9,10,12は何かといえば,これも広く見れば付加型といってさし つかえないだろう。神のためにミキを作り,木は花や草をまつること自体が,童歌で言う「甘言 型」と通底するからである。
 事例13の魚の骨に関わる神歌は,童歌にも同系等のものがあったが,比楡的,象徴的表現であ ることには変わりない。しかし「兄弟が喉に骨を掛けて,せっかくの祭りができない」というの は,明らかに童歌に多い哀れみを請う型で,付加型の要素も兼ね備えているのである。
 なお,事例11も13の,自分の呪文の力で「○○○○しよう」というのは童歌にはあまり見かけ なかった祈りの方法といえる。

まとめ

 事例に即して,願望,祈願表現の諸相をみてきた。今まで触れていないが,童歌のなかには近 年における大人の歌からの移動や借用もないとはいえない。また,その逆があっても不思議はな い。しかしここでは,そのことを踏まえつつも,少なくとも子供は子供として,また大人は大人, 神人は神人として,つい近年まで口にしてきた歌なのだという前提にたって,両者の関連をみて いくほかはない。

 先ず,願い,祈りの対象は,童歌がほとんどが具体的な事物や現象であるのに対して,神歌に なると具体的なものも含みつつ,抽象的なものになっていくのは認めなければならないだろう。 具体的なもののほうが,より原初の形であることは言うまでもないことである。
 内容的には,童歌は遊びに傾き,神歌が切実な祈願に傾くというのも,常識である。このこと は文学ないし音楽が,遊びを基盤に発生したのか,祈りを基盤に発生したのかという重要な問題 に関わってくる。私は今,これをどちらかに決めつけて,一元的に考えるのは誤りでないかと考 えているが,とは言え,どちらに傾むくのかは,今後とも考えなければならない問題だ。そのた めにも,童歌,神歌の願望,祈願表現のありかたは大いに参考となるはずである。
 最後は,願望,祈願表現の方法である。特に付加型の歌をどう考えるかということだが,私は, 直接的な願いの核があって,それを強化するためにいろいろな言葉を付加させていったと思って いる。
 例えば,魚の骨を喉に引っ掛けた時のまじない歌,事例13だが,発生的には叙事部分が本来的 だとする説がある*9。しかし私は「魚の骨を引っかけたために,祭りに行くことができな い」という物語を生んだのは,やはり魚の骨を除去しようという祈りの表現が先にあったからだ と思うのである。
 私も,おそらく神掛かったユタ神らが歌い始めたに違いない叙事歌の,その原初性を認めない わけではない。しかしそれらはまた別の系統に属するものとして考えなければいけないのではな いだろうか。
 いずれにせよ,願望,祈願表現の比較を通して童歌と神歌が,親子のように強いきづなで結ば れていたことだけは明らかになった。

3.対句の諸相

 願意を含まない2類の表現では,童歌,神歌ともに対句が頻出する。ついで先に扱った直接的 な願望表現の箇所にも,対句はしばしば顔をだすといってよいだろう。
 ともあれ,これまでの南島歌謡研究では,神歌の対句についての考察はあっても,童歌のそれ については皆無に近かったといってもよい。そこで今回は,両者対等に照明を当ててて,総合的 な南島歌謡対句論のさきがけとしたいのである。

 なお,この機会に「対句」という概念も再検討しておこうと思う。
 「対句」の「対」という言葉を「2つで1組をなす」いわば「つがい」と考えるか,「対比」 ないし「対立」の「対」と考えるかで違いが出てくる。
 例えば「万丈の山/千初の谷」という成句をみてみると,前と後の句はカップルになっており, 山と谷が対比的に表現されているという意味で,明らかに両方の条件が満たされているといえる。 しかしながら,これまで南島を含む日本文学で「対句」と認められて来たのは,この形ばかりで はない。

 賢し女を 有りと聞かして/麗し女を 有りと聞かして  (古事記)*10

のように,後句が前句のほとんど言い替えで,つまり,つがいという条件だけで対比を含まぬ場 合がきわめて多いのである。これでは対句とは認められないという考え方もできるのだが,言い 替え型もそれに含めなければ,南島の対句論は成立しないといってよいのである。
 従って,ここでは,もっとも緩やかな「並置された2つの句が語形や意味上,対応するように 作られた表現形式」(大辞林)という対句の定義を採用することになる。この「対応」の部分を 「対比」としている辞典もあるが,ここではそれをとらないということだ。以上を踏まえて,私 は,前句と後句の関係から,対句に次の4つの型を抽出しておきたい。
(※印の例は筆者があえて作ったものである)

(1)全句対比型=全体の内容が対比的に表現されていて言葉の重複もほとんどないもの。
 ※「山高く/海深く」のごとく,「山」と「海」,「高く」と「深く」,ともに対比的である型。

(2)一部対比型=前後句の一部が内容的に対比し,一部が言葉のうえで重複するもの。
 ※「山青く/海青く」のごとく,「山」と「海」は対比しているが,「青く」が重複しているよ うな型。

(3)全句言い換え型=後句が前句を全体に言い換え,ほとんど言葉の重複がないもの
 ※「美しき里/うるわしの村」のごとく,「美しき」と「うるわしの」,「里」と「村」のよう に,ともに言い替えである型。

(4)一部言い換え型=後句は前句の一部を言い換え,一部を繰り返すもの
 ※「美しき里/うるわしの里」のごとく,「美しき」と「うるわしの」は言い換えだが,「里」 が重複しているような型。

この順に従って,奄美の童歌,神歌の対句の実際の姿をみていくこととしたい。

(1)全句対比型

 典型的な対句といってよいものである。われわれが,よく聞き口にする日本のことわざをみて も,「帯に短かし/襟に長し」「人は一代/名は万代」「朝焼けは雨/夕焼けは晴れ」などほとん どこの型だといえる。
 では奄美の童歌から,これに該当するものを例示する。(引用に当たって★印を付したのはそ の項の型に該当する対句。☆印は該当しない対句。ほか前の章にならう)

事例17 よそ者に対する悪ロ歌
 きなぞ−ちゅ−や(知名瀬の人は)
 むーぞねかーで わたざくら(藻茎煮食って腹腐れ)]★
 にしぶ−ちゅ−や(根瀬部の人は)
 しょーむんかーで わたぎょらき(素麺食って腹清らか)]★
                             ※大島名瀬市根瀬部P658
 「む−ぞね」は海のホンダワラのこと。「お前ら知名瀬の者は,黒いホンダワラを煮て食べる から腹が黒い。我々根瀬部の者は素麺を食べるから腹がきれいだ」と囃しているのである。全体 が対比型の対句になっていることは明らかである。

事例18 いしょろばんさ遊びの歌
 い−しょろばんさ こ−ばんざ(いしょろばんさ こーばんさ)
 めーいぬ ひーら し−が−て(前の平坂禁登って)
 しーしぬ かたひら いりかくせ(猪の片胴射り匿して)
 かなしゃんちゅーや ったっきーり(可愛い人には二た切れ)★
 はごしゃんちゅ−や ちゅつき−り(憎い人には一と切れ)★
 (以下略)
                             ※同上P660

 いしょろばんざはシーソーのことで,それで遊びながら歌った歌である。前の坂に登って捕っ た猪の肉を「好きな人には二切れ/嫌いな人には一切れ」という。立派にこの型の対句だ。

事例19 同上
 (前略)
 しかま− ふぃ−て− み−れ−ぱ−(朝起き出て見れば)
 て−だや さんとき な−りゅ−り−(太陽は申時になっている)
 うととぬ かたなや ちめがたな(弟の刀は爪刀)★
 し−じゃぬ かたなや はーまじよ(兄の刀は赤山門)★
                            ※同上P661
 「ちめがた」と「は−まじょ」が,実際に何を指すのか,採集者も不解という。しかし言い換 えとはとれないのでこの範酵に入れてみた。
 この型の対句は,むろん探せばまだ出てくるだろうが,ほんの一握りしか見当たらないという のが実際のところである。
 次に,神歌の例を示そう。

事例20 にぎのクチ
 ゐひりひんざが(兄弟のひんざが)
 にぎぬでぃ(魚の骨を飲んで)☆
 さねぬでぃ(小骨を飲んで)☆
 をぅなりかんざが(姉妹のかんざが)☆
 いちんでこのでぃ(一ので〈口〉を選び)☆
 ななんでこのんでぃ(七ので〈口〉を選び)☆
 ふかされば ふきうとぅそ(深く骨がかかっていたら吹き落とそう)★
 あさされぃば ふきざそ(浅いところにかかっている骨ならば吹き出そう)★
 なむあみだぶつ(南無阿弥陀仏)
 なむあむだぶつ(南無阿弥陀仏)
                           ※大島大成P98

 にぎ(魚の骨)のまじない歌は,すでに2種ほどあげた。これも変種の一つである。
実は2,3行目と5,6行目が,それぞれ−部言い換え型の対句だが,1,2,3行と4,5, 6行を対と考えれば,それは全句対比型の対句となるのである。
 また,「浅ければ吹き落とそう/深ければ吹き出そう」もこの型の対句だが,実は叙事部分で はなく,祈願表現の部分に表れていることは,一応注目しておいてよいだろう。

事例21 たんがさのクチタブェ*11
 やまぬたん(山のたん)
 やまぬたん(山のたん)
 みしゃだん あろか(土のたんであろうと)☆
 ちぢだん あろうか(唾のたんであろうと)☆
 むとぅふきぃば はなかれれぃ(本を吹いたら末は枯れてしまえ)★
 はなふきば むとうかれれぃ(末を吹いたら本は枯れてしまえ)★
(以下略)
                         ※大島竜郷町赤尾木P104

 「たんがさ」とは主に子供の頭にできる鰻をもった痛のことである。事例20と同様,祈願表現 の部分に出ている。
 次の事例として,沖永良部島のユタによって歌われたとされる神降ろしの歌「島建てシンゴ」 をあげたい。今は言葉だけが記録されて残るものだが,神の子の誕生から,島の創世,人間の誕 生,稲作の由来等を歌った一大叙事詩で,「集成」本で,376連からなる。全ての引用は叶わぬの で,これに該当する部分をあげてみたい。

事例22 島建てシンゴ*12
 あかちちは しゃぐちなし(赤土は下ぐちなして)★
 くるちちは ういなち(黒土は上になして)★
 

 をんいぬお−き はじ−しゃらなち(姉妹のオーキは地下く風下〉になし)★
 ゐ−ぬお−きは じ−うわらなし(兄弟のオーキは地上く風上〉になし)★
                         ※沖永良部知名町屋子母
                          P155〜61

 それぞれ説明は不要であろう。

 この型の対句は,童歌に比べれば頻度は多いとしても,けっして頻繁に出てくるものではない。  最も対句らしい対句ともいえるこの型は,奄美ではついに主流たりえなかったとだけはいえそ うである。

(2)−部対比型

 この型は,現今の日本のことわざのなかから探そうとしたが,みつからなかった。しかし,奄 美の童歌のなかでは,比較的よく出てくる型である。
 それをあげてみる。

事例23 から鳩への呼び掛け
 ひがしいきゅんち(東に行くといって)★
 にしいきゅんち(西に行くといって)★
 とぅじしてぃてぃ(妻も捨てて)★
 くゎしてぃてぃ(子も捨てて)★
                          ※徳之島伊仙町面縄P678

 子供にはから鳩がこんなに見えたのだろうか。「東/西」「妻/子」と単純ながら対比であるこ とは確かである。

事例24 たとり(つぐみ)に対する呼びかけ
 たとぅりぬ じょせくゎや(つぐみの雑炊は)
 んまさ−んま−さ(おいしい おいしい)
 はんみたとぅりや(赤腹つぐみは)
 んまさーんまーさ(おいしい おいしい)]★
 しるんみたとぅりや(白腹つぐみは)
 んまさーんまーさ(おいしい おいしい)]★
                          ※大島名瀬市根瀬部P651

 たとりは,冬から春先にかけて奄美にやってくる鳥で,子供等はこれを捕獲して母親などに雑 炊を作ってもらい食べたものだという。「赤腹つぐみ/白腹つぐみ」は,対比型の対語だがあと は重複である。

事例25 もっこ遊びの歌
 さんぎゃまの きょうきょっくゎ(サンギャマの胡弓っこ)★
 いせどんの きょうきょっくゎ(イセンドの胡弓っこ)★
 あれん かなしや(あれも可愛い)★
 これん かなしや(これも可愛い)★
 きうる はっだ(清いく美しい〉肌で)
                          ※採集地記載なしP659

 「もっこ」とは二人両手をつないで遊ぶ遊びだが,「南島雑話」[注14]から「集成」に引かれ たものである。「さんぎゃま」と「いせどん」はともに地名で,前者は特定されているが,後者 は不明だという。しかし「さんぎゃま」の言い換えではなさそうなので,ここに入れた。あとは, 「あれん.これん(あれとこれ)」「あんま/じゅう(母と父)」「ちゅうゆる/た ̄ゆる( ̄夜と 二夜)」ときわめて簡単な対比だ。

事例26 まるうち(毬打ち)歌「テンヌボンカナ」
 てんぬ ぼんかな(戸円の坊ん加那)
 しゅうと せ−もれ(壮健で居られよ)
 あんま み−ちゃさ(お母様見たい)★
 じゅ− み−ちゃさ(お父様見たい)★
 いまいふうぐゎが いもらぱ(イマの爺さんがおいでになったら)
 とぅりぬ ぶっか やせ(鶏の尻焼いて)
 かまそ− かまそ−(喰わそ− 喰わそ−)
                          ※大島名瀬市根瀬部P666

 全体意味不詳だが,「あんま(母)/じゅ−(父)は」対比である。

事例27 手まり歌「ちぢいじようから」
 ちぢぬじょうから(辻の門から)
 よいよいとうりぱ(ゆっくり通ると)
 ちぢぬあんぐゎが(辻の姉さんが)
 ちゃ−むぬましゅい(茶も飲ますし)★
 たぱぐむいましゅい(煙草も飲ますし)★
 だっきょちぶるむ(ラッキョ頭も)
 はらはら かましゅい(ハラハラ食べさせるし)
 しいどうふ(酸い豆腐)★
 あまどうふ(甘豆腐)★
 おいしら(召し上がれ)
 おいしら(召し上がれ)
                            ※沖永良部局P702

 「辻」というのは,かつて沖縄にあった遊郭のことで,そこの姉さんが歌われている。「茶/ 煙草」「酸い/甘い」は対比である。
 どれも簡単といえば簡単,単純といえば単純だが,比較的多い型である。
 さて神歌はどうだろうか。

事例28 のりがみのオモロ
 おぶちとき しなて(おぼつの時に榛て)☆
 かくらときしなて(神楽く神座〉の時に撞て)☆
 のろのりま のり(祝女は乗り馬に乗り)
 ざはのりま よせれ(ざは〈蛇〉の乗り馬寄せれ)
 おがねあん かけて(黄金鞍掛けて)★
 なむざあん かけて(ナムザ〈銀〉鞍掛けて)★
 まはるぴや まをのそ(其腹帯は麻の糸)★
 ましりげや げおのそ(奥尻繁は麻の糸)★
 あぐみ よらよらと(鎧よらよらと)★
 たぢな よらよらと(手綱よらよらと)★
 のろや うまのりあわし(祝女は馬に乗りあって)
 さき なをそ ひきはせ(先に七十人引きつれ)★
 あと ももそ ひきはせ(後に百人引きつれ)★
 ぢらてんの とまり(ヂラテンの泊)☆
 ぢらてんの みなと(ヂラテンの港)☆
 うだもどせ もとろ(さあ戻せ戻ろう)☆
 うだかえろ かえろ(さあ帰ろう帰ろう)☆
                          ※大島名瀬市大熊P19

 ノロ神の神歌で.ほとんど全編が対句からなっている。1,2行の「おぶち/かくら」は「お もろさうし」の「おもろ」にも出てくる天空にあると考えられてきた聖所の名である。別々の名 ではなく,言い替えであることはすでに研究者の間では認められている。従ってここには入れない。

事例29 にぎグチ
 むぬしらぬ ぎぃしが(何もわからない人間が)
 あさいそば うれぃてぃ(朝磯におりて)★
 とぅ−いそば うれぃて(遠磯におりて)★
 はいゅぱ とうてぃ(赤魚をとって)★
 しるいゅぱ とうてぃ(白魚をとって)★
 はいゅぬ にぎぱ ぬでぃ(赤魚の骨を飲んで)★
 しるいゅぬ にぎば ぬでぃ(白魚の骨を飲んで)★
 いしぬ ゐひりがきょとう(石の〈親愛なる〉兄弟の子と)☆
 たまい ゐひりがきょとう(玉の〈親愛なる〉兄弟の子と)☆
 (以下略)
                             ※大島P98
 また,にぎ(魚骨)のまじない歌である。★を付した対句については問題ないが,最後の「石 の/玉の」という句についてはいささかの説明がいる。これを価値の薄い石,価値の濃い玉との 並列なら対比とみてよいが,ここではいずれも何らかの意味で親愛を表しているものなのである。 従って次に示す言い換え型に入れるのがふさわしいのである。

事例29 島建てシンゴ
 ふ−まにふいみ(大マニ作れ)★
 くまにふいみ(小マニ作れ)★

 らしゅ一きむ(白肝)★
 くるきゅむ(黒肝〈人間〉が)★

 みっかびまたらだなあてぃな(三日待てなかったのか)★
 よっかびまたらだなあてぃな(四日待てなかったのか)★

 くじゃくぬとぅいとぅ(クジャクの鳥と)★
 つるぬとぅいとぅ(ツルの鳥と)★

 み−ぶりざかち(目ぶり咲かし)★
 くちぶりざかちうたむ(口ぶり咲かし−打ち殺された〉★

 あされどぅ しゅたる(朝寝ぞしてたる)★
 ひんねどぅしゅたる でぃ(昼寝ぞしてたる,と)★

 あ−うみし(赤熱みし)★
 くるうみし(黒熟みし)★
 どちん とてん(どちら通っても)★
 こちら とてん(こちら通っても)★

 5,6番目のは,後句にそれぞれ「うたむ」「でぃ」と余分な言葉が付いているから,厳密に は対句と言えないが,準じたものとして入れた。「島建シンゴ」でも,かなり出てくる型である ことが理解できよう。
 童歌,神歌全体から見て,(1)の全句対比型よりは多いと言えそうである。

(3)全句言い換え型

 ヤマト(日本本土)の古典に現れる対句のほとんどは,対比型というより,言い換え型である ことは最初にも述べたが,南島でそれに固執しているのが,12世紀から17世紀にかけて,古琉球 で歌われていた神歌を,首里王府の役人が集成したとされる「おもろさうし」の「おもろ」であ る。
 その中に,全句言い換え型が散見される。しょつちゅ出てくる次の対句もそうである。
 きこゑ大きみぎや/とよむ せだかこが(1巻1)

 「きこゑ」も「とよむ」も「世に名前が知れている」という意味。「大きみ」はかって,首里 王朝で王を謹的に補佐する最高神女の役職だが,「せだかこ」は「霊力が強い子」という意味で, 明らかに「大きみ」の言い換えだとわかる。
 ここで奄美の童歌や神歌はどうなのだろう。
 童歌では,私には探すのが困難であった。ただ,「あっから来ん舟」という比較的知られたシー ソー遊び(奄美では「イショロバンサ」という)の歌に次のような箇所があった。

事例31
 あしぱぱ よ−り あ−しぱせ(遊べばそっと遊ばせ)
 をぅどらぱ よ−り をぅどらせ(踊ればそっと踊らせ)
                          ※大島名瀬市根瀬部P661
 厳密には「よ−り」が重複するから度外視すべきかもしれないが,全体的には「遊ぶ」を「踊 る」に言い換えた型としていいと思う。南島では「踊り」は「歌」とならんで「遊び」の中心と なるものだからである。
 今のところやっと探したのがこれである。
 神歌の場合はどうか。南島文学史からいえば「おもろ」はきわめて近い関係である。決して多 いとはいえないが,時々出てくる型である。

事例32 いぶぃがなしのオモリ
 きぃぶなとぅき なをれぃ(今日のよき時に)☆
 なまいひが なをれぃ(今日のよき日に)☆
 ひぬかんが うぶちとし(火の神がうぶちから)★
 じるまが かくらとし(地炉の神がかくらから)★
 たけむくさらい(たけぬくさらいく大熊のろの神名〉)★
 とよむうやのろが(とよむ親のろが)★
 (以下略)
                              ※大島P43

 「いぶいがなし」というのは村落を守護する神の名で,この神歌もノロのものである。 この型の対句が2組現れている。「火の神」と「地炉(いろり)の神」は同じ。「うぶち」と 「かくら」は,先述の通り「おぼつ/かぐら」として「おもろ」にも出てくる言い替えの対語で ある。後の「とよむうやのろ」も「たけむくさむらい」という名の神女をいいかえたものであろ う。
 「島建てシンゴ」にもいくつか出てきた。

事例33
 なちゃぬうやは いしになてぃ(産みし親は石になり)★
 ちむとぅぬうやは はにになてぃ(乳元の親は金になり)★

 いしぬを−と(石の王と)★
 はにぬきみとぅが(金の君とが)★

 お一なぐりら(オー名呉れよう)★
 みきゅなちきら(ミキュ名つけよう)★

 1,2番目にみられる「石」と「金」は一見対比的にとれるが,ともに強いという意味で,こ こでは言い換えとするほうがふさわしい。
 また2番目の後の句には「が」という格助詞が入っていて,前後句は文法的には厳密には対応 しないが,準じたものとして入れておきたい。
 3番目の「オー名」「みきゅ名」の意味は不明だが,一人の神の子が1つの名前を求めている のである。けっきよくは言い換えということである。

(4)−部言い換え型

 この型は現今のことわざには,ほとんどないと思うが,日本の古典では主流をしめるものであ る。(最初に引用した万葉歌もそうである)
「おもろさうし」の「おもろ」も,当然この型は多い。

事例34 打撲傷のときのまじない
 がぶ がぶ いじ−んな(腫物出るな)★
 そが そが いじ−んな(傷痕出るな)★
 ひら ひら な−れ(平らにな−れ)
                           ※大島名瀬市根瀬部P656

 「そが」は「がぶ」の言い換えである。

事例35 雨への呼びかけ
 あむぃがなし(雨の神様)
 あむぃがなし(雨の神様)
 なあくゎとぅ(貴方の子供と)☆
 わあくゎとぅ(私の子供と)☆
 あすどぅりょたむん(遊んでいたところが)
 なあくゎぬ(あなたの子供が)
 いちゅぎん てぃち(立派な着物一つ)★
 まんぎん てぃち(上等な着物一つ)★
 ながらしょうたっとう(流してしまったので)
(以下略)
                           ※大島大和村P677

 正確には「いちゅぎん」は「絹の着物」,「まんぎん」は「繭の着物」の意味である。

事例36 毬突き歌「あつきやら〈るゆむんどりくわ」
 あっきゃらくる ゆむんどりくゎ(向こうから来るユムンドリ)
 すとつのしゃじ くわっくゎなしが(蘇鉄の下に子を産して)
 だきゅんちゅも をらんぱ(抱く人もいないので)★
 やむんちゅも をらんぱ(守る人もいないので)★
 あんやくめくゎ たんで(あの兄さんを頼んで)
 ちゅうゆる だかそ(−晩抱かそ)
 た一ゆる だかそ(二晩抱かそ)☆
 (以下略)
                          ※大島笠利町P698

 「やむんちゅう(守る人)は「だきゅんちゅう(抱く人)」の明らかな言い換えである。 童歌のなかにはかく散見される。
 神歌はこの型が圧倒的に優位をしめる。

事例37 あらぽぱなのオモリ
 ねいごほん たね(ネゴホ〈稲〉の種)
 いふなもん(大切なもの)★
 すきなもん(好きなもの)★
 うまれくち(作りはじめ)★
 はじまるくち(作られはじめは)★
 うまれたん(作られはじめたのは)☆
 はじまたん☆
 にるや すくぶり(ニライ〈竜宮〉底の)★
 かなや すぐぶり(カナヤ〈竜宮)底の)★
 ねいごほん たね(稲の種)
 わしていん とり(鷲という鳥)☆
 つりていふん とりぬ(鶴という鳥が)☆
 ひじゃりわき(左の脇に)
 うしこみて(押しこんで)★
 やりこみて(やりこめて)★
 みじょり まし(泉の田)
 すくた ましなん(耕〈田に)
 ひともと うちうるせば(一本うち下ろすと)
 や一つもと(八本に)
 や−もと うちうるせば(八本うち下ろせば)
 さにや しらず(算用できないほどに)
                          ※大島瀬戸内町俵P136

 ノロ神が「新穂花」といわれる村落の祭りに歌う神歌である。このなかの「にるや/かなや」 は沖縄では「にらい/かない」として有名な対語であるが,海の彼方の聖所を意味していて,言 い換えなのである。
 「鷲/鶴」は,ここでは対比的な対語として取り扱ったが,内容的に言えば稲の種をにらい, かないから運んだのは1匹の鳥とするほうが自然であり,言い替えとみるほうがいいかもしれな い。このように言葉の上では明らかに対比的な表現がとられていながら内容的には言い換えとし か考えられないものが結構存在する。この問題についてはいつか,稿を改めて考えてみたいと思っ ている。

事例38 にぎんでぃ
 まてぃんぬすかま(祭りの朝)★
 うるみぃぬあさ(祈りの朝)★
 いしひりぃかねが(いしひりかねが)
 うふぬむっち(大糸を持って)☆
 このむっち(小糸を持って)☆
 うきいしょいじて(沖の漁に出て)☆
 あさいしょいじて(浅漁に出て)☆
 うふいゅやてぃらって(大魚は釣られて)
 にぎいゅばてぃてぃ(にぎ〈骨〉魚を釣って)
 にぎぱぬでぃ(にぎく骨〉を飲んで)★
 さにぃばぬでぃ(さに〈骨〉を飲んで)★
 (以下略)
                           ※採集地記載なしP141

 すでに何度も引用している魚の骨を喉に引っ掛けた時のまじない歌。「祭り」は「折り目」に 行われるから,言い換えの関係である。「沖の漁/浅漁」は対比とみたほうがよいかもしれない。

事例40 島建シンゴ
 あがるでぃ(東方の澱)★
 すぐるでぃ(スグル嶽)★

 おーなぬふしゃでぃちょどぅ(オー名が欲しいと言って)★
 みきゅなふしゃでぃいちどぅ(ミキュ名が欲しいと言って)★

 ているてぃだふがみやる(照る太陽を拝みはべるく拝みます〉)★
 うやなだふがみゃる(親ナダを拝みはべる)★

 しまうちゅき くりんしょ−り(島ウチュキ呉りん侯らえ)★
 くみうちゆき くりんしょ−り(国ウチュキくれて下さい)★

 にるやじまうりてぃ(ニルヤ島降りて)★
 はなやじまうりてぃ(ハナヤ島降りて)★

 ふ−しゅたるでぃ むちぬしたりば(大潮頼んで持ち乗せたらば)★
 やはしゅたるでぃ むちぬしたりぱ(八潮頼んで持ち乗せたらば)★
   これでまだ,半分にもいたらないが,とどめておく。
 なかで「あがる/すぐる」「お−な/みきゃな」「てるてぃだ/うやなだ」「にるや/はなや」 には意味不明の語句が含まれてはいるが,前後関係から明らかに言い換えとみなされるものであ る。「島/国」は対比とも取れるかもしれないが,内容的には一つの領域を指すものであり,言 い換えとみなした。
 以上対句の4つの型について,一通りをみてきた。このことがどういう意味を持つのかまとめ の考察をしたい。

まとめ

 統計的に処理したわけではないが,童歌,神歌それぞれの対句が,4つの型にどのような頻度 で現れているかをもう一度みてみる。
 童歌では,全句対比型は一握りすぎず,また全句言い換え型は皆無に近い。−部対比型と一部 言い換え型に集中しているといってよいだろう。
 神歌の場合は全体にまたがっているが,主流は一部言い換え型である。なお童歌には皆無に近 い全句言い換え型が,神歌でも特にノロ神とユタ神の歌にみられたことは,意味がありそうであ る。
 多く古琉球,首里の神官らが歌ったとされる「おもろさうし」の「おもろ」に,この全句言い 換え型があったことと無関係ではないだろう。全句を頑ななまでに言い換えようとする方法には, ある作為が感じられてならないのである。つまり全句言い換えは,自然発生的なものではなく, 専門の「おもろ」作者や歌唱者力整序した結果だとはいえないだろうか。
 ここで奄美のノロが,首里の神官組織の一部に繰りこまれていたということを思いおこすべき である。そうすればノロ自身や,相互に影響を受けたユタなど専門神職の神歌にこの型が濃厚で あること,かつ童歌にほとんどこの型の見当たらないことが納得できるのである。内容的に1匹 の鳥をいうのに「鷲の烏/鶴の烏」といい,海の彼方を楽土を「にらい/かない」,天空の聖所 を「おぼつ/かぐら」とわざわざ言い換えた理由も,このことで理解できるのではないだろうか。  最後に対句発生に関して私説を述べるなら,対比型の対句は,最初「朝/夜」「東/西」「上/ 下」「父/母」「右/左」「浅い/深い」「好きな/嫌いな」「入れる/出す」「○○せよ/○○する な」といった単純な対比から始まり,次第に技巧的な表現になっていったものと思う。
 一方,言い換え型対句は,その前段階として全句反復があったと推定される。本稿にあげた事 例にもいくつか反復は出ているはずである。
 人々は反復だけの単純さに,いつか言葉の一部を言い換えてみようとする意志が働いた。そこ に日本的な,あるいは南島的な言い換え型対句が生まれる背景があったと,私は推測している。 それはまだ仮説であることは言うまでもない。
 奄美のみならず,南島歌謡対句論はこれから更に深めなければならない問題だが,本論考では, 対句が童歌と神歌の連続性を物語る強力な証拠であることは言い得たものと思う。

[注]
1. 柳田国男は「民謡覚書」(昭和15年)などの著書で,「童歌」を民謡の1ジャンルとした。
2. 祝女と当字され『村落の祭祀を司る女性のカミンチュ(神人)。普通神がかりはしない。
3. 個人や家のお払い,占い,霊媒などをする巫者。シャーマンともいえる。
4. 引用に当たっては地域的な配慮はせず,背景の明らかな歌を優先させた。
5. 主にノロの呪歌。語源不詳。
6. 主にノロ,ユタの呪歌。「崇(たか)くる」からきたとする説がある。
7. 「ロ」から発せられる呪詞。ノロ,ユタに限らず広く使われる。
8. 主にユタの呪歌。「くぎ」の語源不胖。「ナガネ」は「流れ」の意か。
9.山下欣一「呪言と呪祷一唱え言と流れ」(<国文学解釈と鑑賞〉1999.7)等。
10.わが国古典に関する従来の対句論についても検討すべきであったが,本稿では
  扱わなかった。ただ,繰り返し的なものと,対比的なものは,表現者の心性上
  別ものだという考えがあり,その指摘は重要である。鼎談「万葉典の未来」
  (<国文学解釈と鑑賞〉1981.9)の中西進の発言(P69)等。
11.「日本古典文学全染古事記日本瞥紀」(小学館)より。歌謡番号2
12.「クチ」と「タハベ」が合わきった呪歌。
13.「神語」の意味とぎれ沖永良部のユタの呪歌にのみでてくる。

(本研究所所長)

*1 柳田国男は「民謡覚書」(昭和15年)などの著書で,「童歌」を民謡の1ジャンルとした。
*2 祝女と当字され『村落の祭祀を司る女性のカミンチュ(神人)。普通神がかりはしない。
*3 個人や家のお払い,占い,霊媒などをする巫者。シャーマンともいえる。
*4 引用に当たっては地域的な配慮はせず,背景の明らかな歌を優先させた。
*5 主にノロの呪歌。語源不詳。
*6 主にノロ,ユタの呪歌。「崇(たか)くる」からきたとする説がある。
*7 「ロ」から発せられる呪詞。ノロ,ユタに限らず広く使われる。
*8 主にユタの呪歌。「くぎ」の語源不胖。「ナガネ」は「流れ」の意か。
*9 山下欣一「呪言と呪祷一唱え言と流れ」(<国文学解釈と鑑賞〉1999.7)等。
*10 「日本古典文学全染古事記日本瞥紀」(小学館)より。歌謡番号2
*11 「クチ」と「タハベ」が合わきった呪歌。
*12 「神語」の意味とぎれ沖永良部のユタの呪歌にのみでてくる。
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Last-modified: 2013-04-11 (木) 14:12:25 (2018d)