奄美の島唄

かんつめ節

 本書では「かんつめ」以外にも「うらとみ」「嘉徳なべ加那?」「やちゃ坊」など、いくつかの伝説を扱うことになるが、私達は先ず、伝説はあくまで伝説なのであって、それが事実を物語っているとは限らないのだということを認識しておくことが必要だと思う。
 特に悲しい話を思いきり悲しい話にしたがる傾向は、誰人にもあるようで、カンツメ伝説などは、そうした典型ともいえよう。
 近年は恵原義盛氏が、このかんつめという女性像にメスを入れられた。「テンテメ考」(新聞「週刊奄美ポスト」昭和52・1〜掲載)という一文の中で、今までかんつめは、単純に須古生れといわれていたが、当時のヤンチュ(終生奉公人とでもいおうか)は色々な家をまわされることもあったというから、須古は、かんつめが長柄の前にいた所にすぎないだろうと述べられているのである。
 ヤンチュの身でありながら、久慈村の筆子(役所の書記)「いわ加那」と恋におちいる。しかし身分の違いなどから、主人はじめ周囲の人達に冷たく見られ、それが長柄の山での自殺においやる。−−−−そこまではおそらく真実であろう。しかしその前後の話にあまりに作りすぎを感じるのである。
 その原因の一つに、私は歌の影響があろうと思う。いや、歌は真実の話をもとにうたわれたといわれれば、それまでなのだが、では実際にかんつめが、死ぬ前に、
○あかす世は暮れて ()きゃ夜は明ける 果報(かふ)節のあらば また見(きよ)

※昇

(幽冥の世は暮れてあなたの夜は明けます。よい時節が来たらまた逢ひませう。)

※歌詞訳共に、昇曙夢著「大奄美史」

と、うたったというのだろうか。また
○かんとゥみ(あぐ)くゎが 明日(あちゃ)死のしゃん夜や 長柄の佐念の山なんて 提灯(ちょうちん)御火(うまつ)を見てたんちゅるが

※同

(かんとゥみ姉さんが明日死のうとする夜は、長柄の佐念山のあたりに提灯の火が見えたということだが。)
昨夕(ゆび)がで(あす)だる かんとぅみ(あご)ぐゎ 翌日(なァちや)()なたと 後生が道に 御袖(みすで)振りゅり

※久保

(夕べまで一緒に遊んだかんとゥみ姉さんが、明日の夜になると  あの世への道に袖を振って行くよ。)
といった歌が、いったいその情景を実際に見た人によって作られたというのであろうか。おそらく、かんつめの死をいたむ人が、美しく想像して、うたったというのが真実であろう。それがまた、物語りとして話される時には、実際にあったことのようにその中に組み込まれていくのである。
 物語があってそれを誰かがうたう。またその歌を物語りで説明する。こうして話はふくれあがっていく−−といったのは南島説話に造詣深い山下欣一氏であるが、かんつめ伝説の場合もそれはあてはまる。
 曲の系譜からいえば、「かんつめ節」は、草なぐ時の仕事歌をもとにした「はんめ取り節」が原曲で生前かんつめ自身が愛唱していた歌だといわれる。その項を参照願いたいが「かんつめ」の悲劇には、およそ似つかわしくない歌である。

<参考>
 この歌のうたわれ方。
/~エーイゆべがであすだる かんつめあごぐゎ
 ハレーなぁちゃぬよねなれーば(スラガヨイヨーイ)ごしょがみちにみすでふりゅり
 ハレーなぁちゃぬよねなれーば(スラガヨイヨーイ)ごしょがみちにみすでふりゅり
 ダイショダイショヌ カサネテヨーダイショ

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Last-modified: 2012-04-07 (土) 17:38:27 (3485d)