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*[[奄美郷土研究会]] [#g59ff726]

**歩みと概況 [#t80adc3c]
RIGHT:奄美郷土研究会 竹島忠男
RIGHT:2000/04/01

 昭和三十一年(一九五六)、奄美の歴史、民俗研究に造詣の深い五氏(文英吉 大山麟五郎 田畑英勝 平和人 [[島尾敏雄]])によって「奄美史談会」が結成された。研究集会は発足後二回ほど開かれたが、文氏の突然の死去によぅて流会となった。
 昭和三十三年(一九五八)一月十日「奄美史談会」の名で「奄美史談会再発足のご案内」が名瀬市在住郷土研究家、同好家三十五名に宛てて発送された。
 一月十七日午後七時、奄美日米文化会館で初会合、十九名の出席者の熱心な討議の結果、新たに「奄美郷土研究会」の名称で再出発し直すことになった。
 二月二十八日定例会が開かれ、つぎの二氏が発表した。(出席者十三名)
:田畑英勝|「いのしし狩りの方言」
:大山麟五郎|「近代日本における奄美の地位」

 なお島尾氏は、「[[奄美の文化>書籍/奄美の文化]]」(法政大出版局)の中で、昭和三十年以来実施された「九学会連合奄美大島共同調査委員会」による島外からの調査が島内の研究者に大きな刺激を与えたことを指摘しており、また前掲案内文面にも記述されている。
 同氏は、昭和三十二年十二月、文氏の後任として奄美日米文化会館長に就任した。同館は、昭和三十三年四月鹿児島県立図書館奄美分館と改称され、分館長に島尾氏が補せられた。氏は郷土資料の収集と会の指導運営に積極的に取り込むことになったのである。
 本会の位置づけについて、前掲書「奄美の文化」の中でつぎのように述べている。
 「ー島内のまばらな研究家たちの孤絶したばらばらの研究を、総体相関の中で相補いつつ、研究を進める場を設けられたことになりましょうか。」
 会の充実発展と共に、入会者も増加し、昭和四十三年には百名を突破している。また研究実績を積まれた方々や研究機関等の加入もあった。名瀬市を中心に出発した会であったが、漸次他の地域にも影響を広めていったと推測される。
 当時すすめられていた市町村史(誌)の編集作業との関わりもあった。名瀬市の場合編集委員は殆ど本会のメンバーであった。双方の研究過程で共に相乗効果を発揮したと思われる。
 創立来、事務局を県立図書館奄美分館におき、その協力を得ながら継続運営、今日に至ったのである。

RIGHT:奄美郷土研究会40周年記念&br;「発信する奄美1999ー奄美から奄美へ そして海彼へ」より
RIGHT:奄美郷土研究会40周年記念&br;「[[発信する奄美1999ー奄美から奄美へ そして海彼へ>書籍/発信する奄美1999]]」より

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